ボストーク1号
ボストーク1号(ボストーク1ごう、テンプレート:ロシア語、ラテン文字: Vostok-1)は、ソビエト連邦のボストーク計画における最初の有人宇宙飛行ミッションである。1961年4月12日に打ち上げられ、人類初の宇宙飛行を成功させた。乗員は宇宙飛行士のユーリイ・ガガーリン。
概要[編集]
ボストーク1号は、ソビエト連邦のボストーク計画の一環として開発された有人宇宙船である。1961年4月12日、バイコヌール宇宙基地からボストーク-Kロケットによって打ち上げられた。この飛行により、ユーリイ・ガガーリンは人類史上初めて地球周回軌道に到達し、宇宙空間から地球を観測した人物となった。
宇宙船とロケット[編集]
ボストーク1号は、球状の再突入カプセルと、後部に搭載された機器モジュールから構成されていた。再突入カプセルは直径約2.3m、質量約2.4トンで、ガガーリンの座席、生命維持装置、パラシュートなどが内蔵されていた。機器モジュールには、姿勢制御装置、逆噴射ロケット、電力供給装置などが搭載されていた。
打ち上げには、R-7大陸間弾道ミサイルを基に開発されたボストーク-Kロケットが使用された。このロケットは3段式で、総質量は約280トン、全高は約38mであった。
飛行の経緯[編集]
1961年4月12日、協定世界時(UTC)午前6時7分、ボストーク1号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。打ち上げから約11分後、ボストーク1号は地球周回軌道に投入された。軌道は近地点169km、遠地点327km、軌道傾斜角64.95度であった。
ガガーリンは、軌道上から地球を観測し、「地球は青かった」という有名な言葉を残したとされる。飛行中、ガガーリンは宇宙船の自動制御システムに任せており、手動操作は緊急時のみとされていた。
飛行は約108分間続き、地球を1周した。再突入のため、逆噴射ロケットが作動し、再突入カプセルは地球の大気圏に突入した。カプセルが高度約7kmに達したところで、ガガーリンは射出座席によりカプセルから脱出し、パラシュートで降下した。カプセルもまた、別のパラシュートで降下した。
ガガーリンは、ソビエト連邦のサラトフ州エンゲルス近郊に着陸した。彼の着陸地点は、当初の予定よりも若干ずれていた。
飛行の意義[編集]
ボストーク1号の成功は、ソビエト連邦にとって大きなプロパガンダ的勝利であり、宇宙開発競争においてアメリカ合衆国をリードするきっかけとなった。この飛行により、人類が宇宙で生存し、活動できることが実証され、その後の有人宇宙飛行計画の基礎が築かれた。
ユーリイ・ガガーリンは、世界的な英雄となり、その功績は今も語り継がれている。ボストーク1号の成功は、科学技術の進歩と人類のフロンティアスピリットを象徴する出来事として、歴史に刻まれている。
豆知識[編集]
- ボストーク1号の打ち上げ当日、ガガーリンは宇宙飛行の成功を確信しており、機内で「さあ行こう!」と叫んだとされています。
- 地球を周回中、ガガーリンは宇宙船の窓から地球を眺め、「地球は青かった。なんとすばらしい」と報告しました。この言葉は後に、多くの人々に感動を与えました。
- ガガーリンの着陸地点は、当初の予定地から数キロメートル離れていましたが、地元の農民によって発見され、無事に救助されました。
- ボストーク1号の成功は、ソビエト連邦の指導者であるニキータ・フルシチョフにとって、西側諸国に対する大きな宣伝材料となりました。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 的川泰宣『日本宇宙開発史』東京大学出版会、2017年。ISBN 978-4-13-063351-7。
- 的川泰宣『宇宙への夢、未来への挑戦 : 日本の宇宙開発の歩み』ナツメ社、2011年。ISBN 978-4-8163-5099-2。
- 的川泰宣『宇宙開発入門 : 宇宙に行きたい人のための科学入門』日経BP、2015年。ISBN 978-4-8222-7901-3。