フィリップ1世 (フランス王)

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フィリップ1世(英:Philippe I)とは、カペー朝フランス4代目の国王。

生涯[編集]

1052年5月23日、フランス王アンリ1世と王妃アンナの間に生まれた。「フィリップ」はキエフ大公国出身の母が命名した名前で、当時のフランスでは珍しかった。1060年に父王が崩御したため8歳で即位。摂政となったアンナは妻帯者のヴァロワ伯と不倫し教皇から破門されたため、怒ったフィリップは母と浮気相手を共に宮廷から追放した。

親政を開始したフィリップ1世はイングランドとの戦争に勝利し、ブールジュや各地の修道院領を支配下に収めて王権を拡大した。1072年にフランドル伯の娘ベルトと結婚し4男1女をもうけた。

しかし1090年代になるとフィリップはアンジュー伯の妻ベルトラードと恋に落ちてダブル不倫を始める。この際、王妃ベルトが太り過ぎだという意味不明な理由をつけて一方的に離婚を宣言して修道院に幽閉し、ベルトは悲しみの中1093年に死去した。しかしローマ=カトリック教会はこれを認めず、1095年クレルモン公会議で教皇ウルバヌス2世に破門された。これにより十字軍に参加できずフィリップ1世の名声は地に落ち、ベルトとの息子である王太子ルイに人望が集まった。それでも彼は不倫をやめることはできず、王としてのあらゆる権威を失い1108年に崩御した。享年52。彼は母アンナと同じく愛でその身を滅ぼしたのであった。これにより王太子ルイがルイ6世として即位した。

関連項目[編集]