ハンガリー王国 (1920年-1946年)

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ハンガリー王国とはかつてハンガリーを中心に存在した国家である。全体を通して王国と名乗りながらも国王のいない異例な国家であった。

歴史[編集]

第一次世界大戦後、サン・ジェルマン条約オーストリア=ハンガリー帝国は解体されハンガリーはオーストリアから独立し、1918年ハンガリー第一共和国が成立した。しかしロシア革命のように1818年クン・ベーラハンガリー革命を起こしハンガリー評議会共和国を樹立した。しかし国民的な支持が薄く、ルーマニア軍の干渉や反革命軍の蜂起によってすぐに崩壊し、ホルティ・ミクローシュが政権を握り摂政に就任、ハンガリー王国が成立した。当初ハプスブルク家カール4世を戻すか、ハンガリー人の国王を取り立てるかで対立し、結局は国王は要らないみたいな感じになってハンガリー王国ではずっと国王が不在の状態となった。

1919年にはトリアノン条約ルーマニア王国ユーゴスラビア王国などにかつてのハンガリー領の2/3の領土を引き渡した。この領土削減はハンガリー人のヴェルサイユ体制に不満を明らかにして、のちのナチス・ドイツとの連携を強めていくこととなる。

1939年のナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体に介入しスロバキアの北部地域、カルパト・ウクライナを割譲させた。また、1940年にはドイツが主催するウィーン裁定でルーマニアからかつてトリアノン条約で割譲させられたトランシルバニア地方を併合し領土拡大を行った。

第二次世界大戦開戦からしばらくして、ドイツの圧力で1940年に日独伊三国同盟に加盟した。ユーゴスラビアが後にこの同盟に加盟するが、クーデターで加盟を取り消され、ヒトラーは激怒しユーゴスラビア侵攻を開始、ハンガリーもそれに加わりヴォイヴォディナクロアチアスロベニアの一部の領土を併合した。

1941年にドイツがソ連に侵攻するとハンガリー王国は援軍を派遣した。しかし、スターリングラードの戦いでドイツが大敗を喫すると、ソ連は押し返しハンガリー領に迫った。さらにルーマニアが連合国側に寝返るとルーマニアがトランシルバニア奪還のために侵攻してくることになる。この状況を受けホルティは連合国との交渉を模索しイギリスと交渉しようとするが、これを見たドイツとハンガリーの極右政党の矢十字党クーデターを起こし、ホルティらを逮捕しドイツ国内に軟禁した。そこから矢十字党(サーラシ・フェレンツ)が政権を掌握しソ連に対する徹底抗戦を行った。この時にユダヤ人への迫害が激化した。しかしソ連の侵攻は止まらず1944年12月にブダペストの戦いで包囲され矢十字党は政権を放棄した。終戦後、1946年に後継政権のハンガリー第二共和国へ、1949年にソ連の援助を受けたハンガリー人民共和国に移行した。

関連項目[編集]