デヴィッド・マッキャンベル
デヴィッド・S・マッキャンベル | |
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生年月日 | 1910年1月16日 |
死没地 | アメリカ合衆国フロリダ州リポン |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身校 | アナポリス海軍兵学校 |
所属 | アメリカ海軍 |
職業 | 軍人 |
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デヴィッド・S・マッキャンベル(David S. McCampbell, 1910年1月16日 - 1996年6月30日)は、第二次世界大戦中のアメリカ海軍パイロットであり、アメリカ海軍において最も多くの航空機を撃墜したエース・パイロットである。彼の撃墜数は34機に上り、これはアメリカ海軍航空隊のパイロットとしては史上最多である。最終階級は大佐。
生涯[編集]
マッキャンベルは1910年1月16日、オハイオ州ベインブリッジで生まれた。1933年にアナポリス海軍兵学校を卒業し、同年少尉に任官した。当初は戦艦や巡洋艦で勤務していたが、1937年に飛行訓練を開始し、1938年に海軍航空隊のパイロットとなった。
第二次世界大戦が勃発すると、マッキャンベルは太平洋戦線に配属された。初期の任務では、偵察機パイロットや飛行教官を務めていたが、1943年に空母「エセックス」の第15戦闘飛行隊(VF-15)の司令官に任命された。
マッキャンベルはVF-15を率いて、マリアナ諸島、フィリピン、硫黄島などを巡る激しい戦闘に参加した。彼の戦果は目覚ましく、特に1944年10月24日のレイテ沖海戦中のシブヤン海海戦では、単独で7機の日本軍機を撃墜する偉業を成し遂げた。この功績により、彼は名誉勲章を授与された。
終戦後、マッキャンベルは様々な役職を歴任し、1964年に大佐として海軍を退役した。退役後も、彼は航空業界でコンサルタントとして活躍した。
マッキャンベルは1996年6月30日、フロリダ州リポンで死去した。享年86。
戦績[編集]
デヴィッド・マッキャンベルは、第二次世界大戦中のアメリカ海軍において、合計34機の航空機を撃墜したと公式に認定されている。これは、アメリカ海軍航空隊のパイロットの中で最も多い記録である。彼はまた、20機の地上撃破を達成している。
彼の主な戦績は以下の通りである。
栄典[編集]
マッキャンベルは、その卓越した功績に対し、以下を含む数多くの勲章を授与された。
豆知識[編集]
- デヴィッド・マッキャンベルのコールサインは「ファーム(Farm)」だった。
- 彼は「空の伝説(The Legend of the Skies)」として知られていた。
- 彼の撃墜記録は、米海軍航空隊における個人の最高記録として今日まで破られていない。
- マッキャンベルは、その冷静な判断力と卓越した操縦技術で知られていた。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- Tillman, Barrett. Whirlwind: The Air War Against Japan, 1942-1945. Simon & Schuster, 2090. ISBN 978-0743209808
- ゴードン, ビル 『米海軍航空隊の真実』 学習研究社、2090年。ISBN 978-4054045974。