タタール人

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タタール人(タタールじん)は、ヴォルガ川流域やウラル地方、クリミア半島、シベリアなどに分布するテュルク系の民族・民族集団を指す名称。地域によって異なる歴史を持つ集団が、この名前で呼ばれている[1]。

概要[編集]

代表的な集団に、ロシアのタタールスタン共和国やバシコルトスタン共和国などに暮らすヴォルガ・タタール人がある。カザン・タタール人やミシャル人などが含まれ、カザンはその文化の重要な中心地である。居住地はタタールスタン共和国の範囲にとどまらず、ロシア各地や中央アジアにも広がっている[2]。

「タタール人」と呼ばれる主な集団には、次のようなものがある[1][3]。

集団 主な歴史的居住地域
ヴォルガ・タタール人 ヴォルガ川中流域・ウラル地方
クリミア・タタール人 クリミア半島
シベリア・タタール人 シベリア
リプカ・タタール人 リトアニア・ポーランド・ベラルーシなど

リトアニア大公国の領域に定住したタタール人の子孫は、現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシなどに暮らしている。ポーランドのタタール人は、日常の言語を現地の言語へと移しながらも、イスラームの信仰や独自の共同体を維持してきた[3]。

名称[編集]

「タタール」という名称は、中世にはモンゴル高原の部族名として現れる。モンゴル帝国の西方への拡大を通じて、ヨーロッパではモンゴル軍やその支配下の人々を広く指す名称としても用いられるようになった。

漢字の「韃靼」(だったん)もこれに関連する呼称であり、歴史上はモンゴル系の諸集団などを含む、広い意味で使用されてきた[4]。

歴史[編集]

ヴォルガ・ウラル地方[編集]

ヴォルガ・タタール人の民族形成には、ヴォルガ川流域のブルガール人や、キプチャク人などのテュルク系住民が関わった[5]。13世紀以降、この地域はジョチ・ウルスの支配下に入り、人々の移動や交流を通じて文化や言語が形成されていった[2]。

15世紀にはカザン・ハン国が成立したが、1552年にイヴァン4世の軍によって征服され、ロシア国家の支配下に入った。その後、タタール人の間では商業や教育、出版などの活動が展開され、19世紀末にはイスラーム社会の教育・文化改革を目指すジャディード運動も広がった[2]。

1920年には、タタール自治ソビエト社会主義共和国が設けられた[2]。

クリミア・タタール人[編集]

クリミア・タタール人は、クリミア半島を歴史的な故郷とする集団である。1944年にはスターリン政権によって中央アジアなどへ強制移住させられた。その後、故郷への帰還を求める運動が続き、多くの人々がクリミアへ帰還した[6]。

言語・宗教・文化[編集]

ヴォルガ・タタール人の主な言語であるタタール語は、テュルク諸語の一つである。現在、ロシアでは主にキリル文字で表記される[7]。クリミア・タタール人の言語はクリミア・タタール語と呼ばれる[8]。

ヴォルガ・タタール人の文化には、スンナ派のイスラームが大きな影響を与えてきた[2]。

伝統的な祭りにサバントゥイがあり、レスリングのクレシュなどの競技や、音楽の催しが行われる。タタールスタン以外でも、タタール人の共同体などによって開催されている[9]。

日本との関わり[編集]

ロシア革命とその後の混乱に伴い、タタール人の一部は満洲などを経て日本へ渡った。戦前の日本では、東京、名古屋、神戸、熊本などに共同体が形成され、学校やモスク、印刷所などが設けられた。戦後にはトルコやアメリカ合衆国へ移住した人々も多い[10]。

東京ジャーミイの前身である東京回教礼拝堂は、在日タタール人たちが礼拝所を求めたことを背景に、1938年に建てられた[11]。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ↑ a b Dmitry Gorenburg, “Tatars as Meso-Nation”, 北海道大学スラブ研究センター。
  2. ↑ a b c d e Volga Tatars - Encyclopedia.com所収『Encyclopedia of World Cultures』。
  3. ↑ a b Tatarzy - ポーランド政府「民族的・国民的少数者」情報サイト。
  4. ↑ 韃靼 - コトバンク所収『日本大百科全書』ほか。
  5. ↑ タタール人 - コトバンク所収『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』。
  6. ↑ Sürgün: The Crimean Tatars' deportation and exile - パリ政治学院「Mass Violence and Resistance」、2008年6月16日。
  7. ↑ Tatar - フランス国立東洋言語文化学院(INALCO)。
  8. ↑ CRIMEAN TATAR - Encyclopaedia Iranica。
  9. ↑ The first international miners' Sabantuy was held in Kuzbass - タタールスタン共和国文化省、2021年6月28日。
  10. ↑ 沼田彩誉子「極東出身の在米タタール人に関する調査:戦前・戦中期日本における『回教政策』再評価のために」『日本中東学会年報』第28巻第2号、127–144頁。
  11. ↑ 東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センター案内パンフレット「東京ジャーミイの歴史」。