ジョイ・ディヴィジョン

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ジョイ・ディヴィジョン (Joy Division) は、イギリスロックバンド

メンバー[編集]

来歴[編集]

1976年6月4日、友人同士であったバーナード・アルブレヒトとピーター・フックは、セックス・ピストルズのライブを観に行き、ピストルズのライブパフォーマンスに衝撃を受けた二人は、すぐにバンドを結成することになった。その後、ライヴ会場で顔を合わせたことがあったイアン・カーティスが加入。1977年8月にスティーヴン・モリスがバンドに加入しーメンバーが固まった。最初のバンド名は、「スティフ・キトゥンズ」で、その後「ワルシャワ」に変更。1978年1月から「ジョイ・ディヴィジョン」と名乗るようになった。

1978年9月、ファクトリーとレコード契約を締結する。バンドは次第に知名度を高めた。1979年に1stアルバム『アンノウン・プレジャーズ』をリリース。1980年1月にヨーロッパを回るツアーを行った後、2月からは全英ツアーを展開。同年に2ndアルバム『クローサー』をリリース。しかし、イアン・カーティスは、持病のてんかんとうつ病、女性問題により、ツアーの最中の4月7日にフェノバルビタールを服用して自殺を図る。この時は一命を取り留めた。しかし、5月18日に全米ツアーへの出発を翌日に控えた月曜日の早朝にイアンは自宅で首を吊り自殺。ジョイ・ディヴィジョンは活動を停止し、全米ツアーもキャンセルされた。

残されたメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決意し、ニュー・オーダーに改められ、ボーカルはギタリストのバーナードが兼任することになった。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナルアルバム[編集]

関連項目[編集]