ジミ・ヘンドリックス
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix、1942年11月27日 - 1970年9月18日)は、アメリカ合衆国のギタリスト兼シンガーソングライター。「ジミヘン」という名で知られる。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
ワシントン州シアトルに生まれる。出生時の名前は、ジョニー・アレン・ヘンドリックス(Johnny Allen Hendrix) で、母親によって名付けられた。父親は、アフリカ系の父親と、アメリカ先住民の母親との間に生まれたブラック・インディアンである。純血のチェロキー族だった父方の祖母ノラ・ヘンドリックスから、幼少期のヘンドリックスはチェロキー族の昔話を教えられ、後に作曲に見いだされる。
父親が第二次世界大戦に出ている中、母親が出奔し、ヘンドリックスは母の姉夫婦の元で育った。その後、帰国した父に引き取られ、名前をジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)に改名。
音楽への傾倒[編集]
父親のアルは庭師の仕事をしていた。しかし、生活は貧しかった。15歳の頃、ギターに興味を示し、父親は、当時のアパートの家主の息子からアコースティック・ギターを5ドルで買い取り、ヘンドリックスに与えた。 その後、シアトルの楽器店から初めてエレクトリック・ギターを購入した。ブルース、R&B、ロックンロールのレコードなどを聴いて、独学でギター演奏を学んだ。
青年期の頃、アマチュア・バンドで経験を積み、全米ナンバー・ワンバンドの座を得た。
音楽活動[編集]
1961年5月2日に自動車窃盗の罪で逮捕された。投獄回避するため陸軍に志願して入隊し、精鋭部隊・第101空挺師団へ配属された。共に軍役についていた仲間の中には、後にヘンドリックスとバンド・オブ・ジプシーズを組むベーシストのビリー・コックスがおり、軍隊内のクラブハウスで一緒に演奏することもあった。除隊後、音楽活動の道へと足を踏み入れる。
1966年7月にアニマルズのベーシストのチャス・チャンドラーに見いだされ、同年9月に渡英。10月から音楽活動を始め、ジェームズ/ジミー(James/Jimmy)から、ジミ(Jimi)に変更し、イギリス国内でクラブ出演を重ね、ポリドール系の独立レーベル「トラック・レコード」と契約を結んだ。デビュー・シングル「Hey Joe / Stone Free」は全英4位のヒットを記録した。
1969年6月、ノエル・レディングがバンドを脱退した。彼の脱退後、ヘンドリックスはミッチ・ミッチェルと、軍隊時代からの友人ビリー・コックス(ベース)と共に、「ジプシー・サンズ&レインボウズ」として活動を開始。エクスペリエンスがトリオ編成だったが、コンガなどのパーカションやサイドギターも加え、ビッグバンド結成を狙っていた。しかし、同バンドは、長続きせず、1969年10月にはビリー・コックス(ベース)、バディ・マイルス(ドラム)と、3人編成の「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成する。しかし、LSDやヘロインなどを常用していたため、1969年にはカナダのトロント空港で麻薬不法所持の疑いで逮捕された。しかし、裁判後に嫌疑不十分で無罪となった。
バンド・オブ・ジプシーズ解散後、ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスをバックに活動を再開。
死[編集]
1970年9月18日未明、女性とロンドンのホテルで滞在中に急逝。27歳没。死因は、睡眠前に酒と睡眠薬 (バルビツール酸系) を併用し、睡眠中に嘔吐したことによる窒息死。