ゲオルギー・マレンコフ
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ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ・マレンコフ(ロシア語:Георгий Максимилианович Маленков、1901年11月23日-1988年1月14日)とは、ソ連の政治家、党幹部、ソ連閣僚会議議長(1953-1955年)である。
概要[編集]
ロシア帝国オレンブルク県で生まれる。1920年にロシア共産党に入党。マレンコフは急速な昇進を続けヨシフ・スターリンと協力するようになった。スターリンの死後は彼がソ連の指導者(ソ連閣僚会議議長)に就任した。1953年から1955年までソ連の事実上の指導者だった。その数ヶ月後にマレンコフはニキータ・フルシチョフにその座を譲った。とはいえ、スターリンの独裁体制を見直すべく集団指導体制に移行しただけであって、マレンコフは指導者の位置にとどまった。マレンコフは最終財生産の増加、集団農場への投資、世界初の原子力発電所の建設などの政策をおこなった。
しかし。マレンコフは他の共産党員から抵抗にあい1955年に辞任を余儀なくされた。反党グループ事件に関与してフルシチョフの失脚を狙ったが失敗し、幹部会と中央委員会から追放され、カザフスタンに亡命した。1961年にはソ連共産党から除名処分となった。その後すぐにマレンコフは正式に政界から引退した。しばらくしてモスクワに戻り1988年に死亡するまでモスクワで目立たない生活をした。
ヴァレリヤ・ゴルプツォヴァが配偶者であり、子女が3人いる。(ヴォーリャ(1924-2010)、アンドレイ(1937-2024)、ゲオルギー(1938-))
余談[編集]
石破内閣の官房長官を務める林芳正と似ているとして話題になった。