ウォッチタワー作戦

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ウォッチタワー作戦(ウォッチタワーさくせん、英語: Operation Watchtower)は、第二次世界大戦中の1942年8月7日に開始された連合国によるソロモン諸島ガダルカナル島ツラギ島、およびフロリダ諸島の占領を目的とした軍事作戦である。この作戦は、太平洋戦争における連合軍初の本格的な攻勢であり、その後のガダルカナル島の戦いへと発展した。

背景[編集]

1941年真珠湾攻撃以来、大日本帝国は太平洋において急速に勢力圏を拡大していた。特にラバウルに大規模な航空基地を建設し、そこからニューギニア島ソロモン諸島方面へ進出を図っていた。1942年5月珊瑚海海戦では日本軍のポートモレスビー侵攻を阻止したものの、日本軍はソロモン諸島における航空基地建設を進めていた。

連合軍にとって、日本軍がガダルカナル島に建設中の飛行場は、オーストラリアアメリカ合衆国を結ぶ補給路を脅かすものであり、また、その後の反攻作戦の足がかりとするためにも、早期の奪取が不可欠であった。アメリカ海軍アメリカ海兵隊は、太平洋方面最高司令官であるチェスター・ニミッツ提督の指揮の下、この作戦を立案した。当初の作戦名は「パイプクリーナー作戦」であったが、後に「ウォッチタワー作戦」へと変更された。

作戦の実行[編集]

1942年8月7日アメリカ海兵隊第1海兵師団を主軸とする上陸部隊が、ウィリアム・F・ハルゼー・ジュニア提督指揮下の艦隊に護衛され、ガダルカナル島とツラギ島に上陸を開始した。

ガダルカナル島への上陸[編集]

ガダルカナル島では、日本軍の抵抗はほとんどなく、海兵隊は迅速に飛行場を占領した。この飛行場は後に「ヘンダーソン飛行場」と命名され、その後のガダルカナル島の戦いにおける戦略的要衝となる。日本軍は上陸を予期しておらず、飛行場建設部隊が主力であったため、組織的な抵抗は不可能であった。

ツラギ島およびフロリダ諸島への上陸[編集]

ツラギ島とフロリダ諸島では、日本軍の少数の守備隊が激しく抵抗した。特にツラギ島では、日本軍守備隊が洞窟塹壕に立てこもり、手榴弾小銃による白兵戦が繰り広げられた。しかし、海兵隊の圧倒的な兵力と火力により、数日後には両島とも制圧された。

その後の経過[編集]

ウォッチタワー作戦による上陸作戦は成功裏に終わったものの、その後の日本軍による激しい反撃を招くことになった。特に8月8日から8月9日にかけて発生した第一次ソロモン海戦では、日本海軍の夜戦攻撃により、連合軍は多数の艦艇を失い、一時的に補給が途絶する事態となった。

日本軍は、ラバウルを拠点に航空機による攻撃や、陸軍部隊の増援を試みた。これに対し、連合軍はヘンダーソン飛行場を拠点とした航空優勢の確保に努め、シーレーンの防衛に尽力した。ガダルカナル島を巡る戦いは、その後6ヶ月間にもわたる激しい消耗戦となり、ガダルカナル島の戦いとして知られるようになる。ウォッチタワー作戦は、この長期にわたる戦いの序幕であった。

豆知識[編集]

  • ウォッチタワー作戦という名称は、初期の作戦計画段階では「パイプクリーナー作戦」と呼ばれていました。
  • ガダルカナル島に最初に上陸した部隊は、日本の飛行場建設部隊の食料を奪い、すぐに戦闘糧食が尽きてしまったといわれています。
  • ウォッチタワー作戦は、第二次世界大戦においてアメリカが日本に対して仕掛けた、初の本格的な大規模攻勢でした。

関連項目[編集]

参考書籍 (国内)[編集]

  • 児島襄 『太平洋戦争』(全3巻)中央公論新社
  • ジョン・トランド 『大日本帝国の興亡』(全5巻)早川書房
  • サミュエル・エリオット・モリソン 『第二次世界大戦海戦史』(全15巻)光人社