インドネシア独立戦争

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

インドネシア独立戦争(インドネシアどくりつせんそう、インドネシア語: Revolusi Nasional Indonesia)は、第二次世界大戦終結後の1945年から1949年にかけて、国家独立を宣言したインドネシア植民地支配継続を試みるオランダと戦った戦争である。

背景[編集]

インドネシアは17世紀初頭からオランダ領東インドとしてオランダの植民地支配下にあった。
第二次世界大戦中、日本がオランダに代わってインドネシアを占領した(日本占領時期のインドネシア)。日本は占領下でインドネシア人の民族主義を刺激し、独立準備を進める動きを見せた。
1945年8月17日、日本の降伏直後、スカルノモハマッド・ハッタインドネシア共和国の独立を宣言した。

経過[編集]

日本の降伏後、日本の武装解除と旧植民地の回復を任務とし、イギリス軍が連合国軍としてインドネシアに進駐した。しかし、旧宗主国であるオランダはインドネシアの再植民地化を試み、オランダ軍がイギリス軍の支援を受けて再上陸。その結果、インドネシア人による抵抗運動が激化し、インドネシア共和国軍とオランダ軍の間で武力衝突が頻発した。

初期の段階では、オランダは大規模な軍事作戦「ポロ作戦」などを展開し、インドネシア共和国の主要都市を占領した。しかし、インドネシア側はゲリラ戦を展開し、住民の支持を得て抵抗を続けた。国際社会では、インドネシアの独立を支持する声が高まり、特に国際連合は停戦を呼びかけ、調停に乗り出した。

1947年リンガジャティ協定1948年レンヴィル協定が締結されたが、いずれもオランダ側の強硬な姿勢により履行されず、大規模な軍事行動が繰り返された。

終結[編集]

度重なる軍事行動にもかかわらずインドネシアの抵抗は続き、国際的な批判が高まったこと、そして、独立を認めない限り、アメリカ合衆国からの経済援助が停止される可能性が示唆されたことなどを受け、オランダは態度を軟化させた。

1949年ハーグ円卓会議が開催され、オランダはインドネシア共和国の主権を正式に承認することに合意した。これにより、同年12月27日、インドネシアは完全に独立を達成した。

豆知識[編集]

  • インドネシア独立戦争は、「インドネシア国民革命」とも呼ばれる。
  • 日本軍の一部将兵は、日本の降伏後もインドネシアに残り、インドネシア独立戦争に参加した者もいる。
  • インドネシアの国歌「インドネシア・ラヤ」は、この独立戦争中に広く歌われ、国民の士気を高めた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 飯島真里子『インドネシア現代史』(慶應義塾大学出版会、2001年)
  • 増田正隆『現代インドネシアの政治と社会』(勁草書房、2004年)