アイオワ州の食用豚支援

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アイオワ州の食用豚支援(アイオワしゅうのしょくようぶたしえん、英語: Iowa Hog Lift)とは、1960年アメリカ合衆国アイオワ州から日本山梨県に豚が贈られた事例のこと。日本の養豚産業の近代化に大きな貢献をした。

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風は日本各地に大きな被害を残したが、山梨県でも県内の農畜産業は深刻な打撃を受けた[1]。このとき、在日アメリカ空軍に所属し、東京で広報の任にあたっていたリチャード・トーマス(Richard Thomas)曹長は、台風災害見舞物資としてアイオワ州(曹長の出身地でもある)から豚を日本へ贈ることを発案し、この計画が駐日アメリカ合衆国大使館の農業担当官であったドン・モッツ(Don Motz)の気に入るところとなり、実行されることになった。この計画は、全米トウモロコシ生産者協会(NCGA)、アメリカ合衆国農務省(USDA)、アメリカ合衆国外務農業庁(FAS)といった関係者からも強い賛同を得られた。この当時のアメリカでは飼料用トウモロコシがダブついていたという事情もある。実際、横ばいだったアメリカでのトウモロコシ生産量は本件を機に輸出産業へシフトしたことで、増産へ転じている。

台風災害見舞物資としてアイオワ州(曹長の出身地でもある)から生きた36頭と飼料用トウモロコシ1500トンがアメリカ空軍によって空輸され、山梨に贈られた。なお、豚は輸送途中で1頭が死亡したため、山梨に到着したのは35頭であった。

贈られてきた豚は大型であり、発育や産肉成績に優れていた[1]。山梨県畜産酪農技術センターでは贈られてきた豚たちを繁殖し(3年以内に500頭以上に繁殖した)、山梨県内の畜産農家に配布することによって、台風の被害を乗り越えると共に県内の近代養豚の発展に貢献することになった[1]

当時の日本の養豚は、豚に残飯や食品工場から出る残渣を食べさせる「庭先養豚」で少数飼育が中心であった[2]。これはこれで循環型でもあり、今日で言うところのSDGsに配慮のある畜産方法ではあるのだが、飼育数は多くできない。アメリカから来日した技術指導者たちは、穀物主体の配合飼料を持ち込みみ、併せて配合飼料を用いた飼育方法を伝えた[2]。これにより、専用の設備で多くの豚を飼育するという近代養豚が広まり、現在の日本の養豚の礎となっている[2]

山梨県畜産試験場では、アイオワ州の豚をベースとして品種改良を重ね、山梨県特産となるブランド豚を生み出して行くことになる[2]

また、1960年には山梨県とアイオワ州との間に姉妹県州協定が結ばれている。

脚注[編集]

  1. a b c テレビ山梨 (2023年11月29日). “美味しい豚肉のルーツ 近代養豚の始まりは64年前の伊勢湾台風と山梨県にあった”. TBS NEWS DIG. p. 2. 2026年4月7日確認。
  2. a b c d テレビ山梨 (2023年11月29日). “美味しい豚肉のルーツ 近代養豚の始まりは64年前の伊勢湾台風と山梨県にあった”. TBS NEWS DIG. p. 3. 2026年4月7日確認。

関連項目[編集]

  • 甲州富士桜ポーク - 山梨県のブランド豚。アイオワ州から贈られてきた豚の末裔でもある。