II号戦車
II号戦車(にごうせんしゃ、独: Panzerkampfwagen II、略号:Pz.Kpfw. II)は、第二次世界大戦初期にドイツ国防軍が運用した軽戦車である。I号戦車に続く暫定的な軽戦車として開発されたが、第二次世界大戦開戦時には主力戦車の一翼を担い、ポーランド、フランス、そしてソ連侵攻初期における電撃戦を支えた。
開発[編集]
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって戦車の保有・開発を厳しく制限されていたドイツは、極秘裏に戦車の開発を進めていた。当初、ドイツは軽量な訓練用戦車であるI号戦車を開発したが、これは機関銃のみを装備したものであり、本格的な戦闘には不向きであった。
1934年、ドイツ陸軍兵器局はI号戦車よりも強力な暫定的な戦車の開発をクルップ社、ダイムラー・ベンツ社、MAN社に命じた。これは将来的なIII号戦車やIV号戦車の開発・配備までの繋ぎとして、より強力な対戦車能力と装甲を持つ車両を求めるものであった。要求されたのは、20mm機関砲を主武装とし、機関銃を副武装とする、歩兵支援および偵察任務に適した軽戦車であった。
クルップ社の設計案はLKA 1として知られ、MAN社の設計案はLKA 2、ダイムラー・ベンツ社の設計案はLKA 3と呼ばれた。最終的にMAN社の設計が採用され、ダイムラー・ベンツ社が車体、クルップ社が砲塔の製造を担当することとなった。最初の試作車は1935年に完成し、Sd.Kfz. 121(特殊用途車両121)として制式化された。
生産と派生型[編集]
II号戦車の生産は1935年から開始され、戦争中期まで続けられた。様々な改良が加えられ、数多くの派生型が開発された。
- II号戦車a型 (Ausf. a):最初の量産型。リベット接合の装甲と板ばね式サスペンションを持つ。少数生産に留まる。
- II号戦車b型 (Ausf. b):a型からの小改良型。
- II号戦車c型 (Ausf. c):初期の主要生産型。装甲厚を増し、サスペンションを改良した。
- II号戦車A型 (Ausf. A):c型からの生産移行型。細部の改良。
- II号戦車B型 (Ausf. B):A型からの改良型。エンジンデッキの形状変更など。
- II号戦車C型 (Ausf. C):最も多く生産されたタイプ。前面装甲が30mmに強化され、サスペンションがリーフスプリングに変更された。
- II号戦車D型 (Ausf. D):新型のクリスティー式サスペンションを採用し、高速化を図った偵察戦車型。少数生産。
- II号戦車E型 (Ausf. E):D型の改良型。
- II号戦車F型 (Ausf. F):C型の最終生産型で、鋳造製のキューポラが採用された。
- II号戦車G型 (Ausf. G):新型の交錯式転輪サスペンションを採用し、近代化を図った偵察戦車型。開発中止。
- II号戦車H型 (Ausf. H):G型をさらに発展させたもの。計画のみ。
- II号戦車J型 (Ausf. J):偵察戦車として、重装甲化を図った型。東部戦線で少数が使用された。
- II号戦車L型 (Ausf. L)「ルクス」:軽量偵察戦車。愛称は「ルクス」(Lynx、オオヤマネコ)。高い機動性を持ち、少数生産された。
この他、II号戦車の車体を利用した様々な派生車両が開発された。
- マルダーII (Marder II):II号戦車の車体にPaK 36(r) 7.62cm対戦車砲またはPaK 40 7.5cm対戦車砲を搭載した対戦車自走砲。
- ヴェスペ (Wespe):II号戦車の車体に10.5 cm leFH 18を搭載した自走榴弾砲。
- ビゾンI (Bison I):I号戦車の車体と誤解されがちだが、II号戦車の初期型車体にsIG 33 15cm重歩兵砲を搭載した自走砲。
- フレイムパンツァーII (Flammpanzer II):火炎放射戦車。
- 橋梁架設戦車II (Brückenlegepanzer II):架橋戦車。
戦歴[編集]
II号戦車は、第二次世界大戦開戦当初のポーランド侵攻、西方電撃戦において、ドイツ機甲部隊の主力の一翼を担った。当初、ドイツ軍の戦車部隊はI号戦車とII号戦車が多数を占めており、III号戦車やIV号戦車の配備はまだ進んでいなかった。II号戦車は、その20mm機関砲によって軽装甲の目標や歩兵に対して有効であった。しかし、フランスのルノーB1重戦車やソミュアS35中戦車といった連合軍のより重装甲な戦車に対しては、その武装と装甲では力不足であった。
バルバロッサ作戦発動後のソ連侵攻初期においても、II号戦車は偵察任務や歩兵支援に用いられた。しかし、ソ連のT-34やKV-1といった新鋭戦車の登場により、その能力は完全に時代遅れとなった。20mm機関砲はこれらのソ連戦車の装甲を貫通できず、II号戦車の薄い装甲は容易に貫通された。
1942年以降、II号戦車は第一線から徐々に引き下げられ、偵察部隊や治安部隊、訓練部隊に配備された。また、多数の車体がマルダーIIやヴェスペといった自走砲のシャーシとして活用された。特に東部戦線では、これらの自走砲がドイツ国防軍の火力不足を補う上で重要な役割を果たした。
構造と特徴[編集]
II号戦車は、当時の軽戦車としては標準的な設計を持っていた。乗員は3名(車長兼砲手、操縦手、通信手)。主武装はラインメタル社製の20mm KwK 30機関砲またはKwK 38機関砲で、副武装として同軸のMG 34機関銃を装備していた。これらの武装は、対人目標や軽装甲車両に対しては有効であった。
装甲は溶接とリベットの併用で、初期型では最大14.5mmであったが、後期型では前面装甲が30mmまで強化された。しかし、これは対戦車砲や他の戦車の主砲に対しては十分な防御力とは言えなかった。
エンジンはマイバッハ社のHL 62 TRM水冷直列6気筒ガソリンエンジン(140馬力)を搭載し、路上最高速度は40km/h程度であった。サスペンションは初期型では板ばね、後期型ではリーフスプリングが用いられた。一部の型ではクリスティー式サスペンションや交錯式転輪サスペンションも試みられた。
豆知識[編集]
- II号戦車の生産数は、派生型を含めると1,800両以上に達すると言われている。
- 初期型II号戦車の砲塔は、砲身が短く見えることから「ショート20mm砲」と呼ばれた。
- 20mm機関砲は、もともと航空機用の機関砲を転用したものであった。
- II号戦車は、ドイツ軍の戦車兵が本格的な戦車戦術を学ぶ上で重要な役割を果たした。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- ヴァルター・J・シュピールベルガー 著, 『ドイツ軽戦車 II号戦車』, 大日本絵画, 2003年, ISBN 978-4-499-22802-9
- ゴードン・ウィリアムソン 著, 『ドイツ戦車部隊 1939-45』, 大日本絵画, 2004年, ISBN 978-4-499-22849-4
- ケネス・マクセイ 著, 『ドイツ機甲部隊の興亡』, 読売新聞社, 1980年, ISBN 4-643-52900-5