ダグラス C-47 スカイトレイン

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ダグラス C-47 スカイトレイン(Douglas C-47 Skytrain)は、第二次世界大戦中にアメリカダグラス・エアクラフト社が開発・製造した双発プロペラ輸送機である。原型機は民間旅客機であるダグラス DC-3であり、その軍用型として大量生産され、世界中で使用された。

概要[編集]

C-47は、民間向けに開発されたDC-3を軍事用に転用した機体である。DC-3は1935年12月17日に初飛行し、その堅牢性と信頼性の高さから、すぐに各国の航空会社に採用された。第二次世界大戦が勃発すると、その輸送能力と短距離離着陸性能が評価され、軍用輸送機として正式に採用された。

C-47は、胴体左側に大型の貨物扉を設け、床を強化することで、兵員や物資の輸送、傷病兵の搬送、空挺兵の投下など、多岐にわたる任務に対応できるように改修された。第二次世界大戦中には、連合国軍の主要な輸送手段として、ヨーロッパ北アフリカ太平洋など、あらゆる戦場で活躍した。

戦後も、C-47は多くの国で運用され続け、朝鮮戦争ベトナム戦争など、その後の紛争でも使用された。また、多数の機体が民間に払い下げられ、旅客機や貨物機として活躍した。その汎用性と耐久性から、「永遠の飛行機」とも称される。

開発[編集]

C-47の開発は、民間航空市場での成功を収めたDC-3の軍事転用から始まった。アメリカ陸軍航空隊は、DC-3の輸送能力に注目し、軍用型としての仕様をダグラス社に提示した。これにより、DC-3の設計をベースに、強化された胴体構造、大型の貨物扉、貨物積載用のフロア、空挺兵降下用の装備などが追加されたC-47が誕生した。

C-47は、1941年5月にアメリカ陸軍航空隊に正式採用され、大量生産が開始された。生産は終戦まで続き、合計で10,048機ものC-47シリーズが製造された。また、イギリスでは「ダコタ」の名称で運用され、ソビエト連邦ではライセンス生産された「Lisunov Li-2」が製造された。

特徴[編集]

C-47は、頑丈な構造と信頼性の高いエンジン、そしてシンプルな操作性が特徴である。未舗装の滑走路や短い滑走路からも離着陸が可能であり、過酷な運用環境にも耐えうる設計となっていた。

  • エンジンプラット・アンド・ホイットニー R-1830 ツインワスプ空冷星型エンジン2基
  • 最大速度:360 km/h (224 mph)
  • 航続距離:2,575 km (1,600 miles)
  • 実用上昇限度:7,300 m (24,000 ft)
  • 積載量:約2,700 kg (6,000 lb) または 28名の兵員、あるいは18名の担架
  • 乗員:3名 (パイロット2名、航法士1名または通信士1名)

これらの性能により、C-47は多様な任務を効率的に遂行することができた。

運用史[編集]

C-47は第二次世界大戦における連合国軍の勝利に不可欠な存在であった。

戦後も、C-47は世界中の軍隊や民間企業で運用され続けた。ベルリン封鎖時には、「ベルリン大空輸」において物資輸送の主役となり、西ベルリン市民の生命線を支えた。

バリエーション[編集]

  • C-47A:24V電源システムを備えた最初の主要生産型。
  • C-47B:高高度性能を向上させたエンジンを搭載し、高地での運用に適した型。
  • C-47D:C-47Bから高高度用スーパーチャージャーを取り除いた型。
  • ダグラス AC-47 スプーキー:ベトナム戦争でガンシップとして使用された武装型。
  • R4Dアメリカ海軍およびアメリカ海兵隊におけるC-47の呼称。
  • ダコタイギリス空軍におけるC-47の呼称。
  • Lisunov Li-2:ソ連でライセンス生産された型。

豆知識[編集]

C-47は、そのあまりにも高い信頼性と汎用性から、「ゴート(山羊)」という愛称でも呼ばれることがあった。これは、山羊がどこでも生きていけることに例えられたものである。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Bowers, Peter M. Douglas DC-3: The World's Most Successful Production Aircraft. TAB Books, 1986.
  • Francillon, René J. McDonnell Douglas Aircraft since 1920: Volume I. Naval Institute Press, 1990.