香月弘美

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香月 弘美(かつき ひろみ、本名:小笠原 弘恵、1936年8月21日 - 1958年4月1日)とは、神奈川県出身の宝塚歌劇団月組に所属していたタカラジェンヌ(娘役・41期生)。

来歴[編集]

湘南白百合学園小学部・中学部から湘南白百合学園高等学校へと進学するも、同級生の松島三那子の影響で高校を中退して宝塚音楽学校へと入学。

1954年(昭和29年)4月「春の踊り」で初舞台を踏む。1958年(昭和33年)4月1日の舞台公演中、セリの可動部に衣装が巻き込まれる事故に遭い21歳で死亡。歌劇団員唯一の殉職者。

死亡事故[編集]

事故当日、香月は花組の「春の踊り 花の中の子供たち」(高木史朗作・演出)に出演していた。同公演に香月の出演予定はなかったが、本来の出演者が1人急病で休演したため、事故前日の3月31日昼の部から代役として出演していた。

公演は昼・夜の2部制で、31日の両公演、4月1日の昼公演は特に目立った問題もなく終了した。しかし夜の部の恋人同士のハートの6(男)とハートの7(娘)がトランプの国のキング・クイーンの怒りに触れて処刑され、セリで舞台下へ沈んでいくシーンで事故が起きた。

香月の衣装は裾を広げるためスチールベルトが腰回り、膝、裾の3箇所に付けられていた。衣装の裾がセリのシャフトに巻き込まれたことでセリ台の枠の鉄製ベルトと舞台を支える鉄製の支柱の間に足を挟まれたまま身体が引込まれ、腰まわりのスチールベルトが胴を締めつけられたことで上半身と下半身が切断され、即死した。