飯田橋検車区

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

飯田橋検車区(いいだばしけんしゃく)とは、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に存在した車両基地である。東西線有楽町線にそれぞれ同じ名前の検車区があり、そのどちらもが地下式であった。

東西線の飯田橋検車区[編集]

1964年(昭和39年)12月の東西線高田馬場 - 九段下間開業時に発足した。開業当時の東西線には本格的な車両基地はなく、他の鉄道路線との接続もなかったため、飯田橋 - 九段下間に設置した地下の側線を検車区として検査業務を行っていた。

地下の側線には検査ピット、リフティングジャッキ、小型クレーンが設置されており、1ヶ月毎の検査(1ヶ月検査。現在の90日以内に実施する月検査に相当する)、毎日検査(現在の10日以内に実施する列車検査に相当する)、臨時修繕、車両清掃を行っていた。検車区が地下式で狭く、車輪削正設備がなかったため、摩耗を防ぐ目的もあって最高速度が40km/hに抑えられていた。

東西線が中野駅に延伸するとようやく他の鉄道線と物理的な接続が得られ、国鉄の三鷹電車区(現在のJR東日本三鷹車両センター)の一角を借りて飯田橋検車区三鷹出張所を開設。毎日検査がここで行われるようになった他、中野駅構内の引上線でも検査が行われるようになった。

1967年(昭和42年)に東西線は東陽町まで延伸を果たし、深川検車区が開所。飯田橋の検査機能は深川へと移転し飯田橋検車区は廃止された。その後も留置線として残されており、九段下折返し列車と夜間滞泊で使用されている。

有楽町線の飯田橋検車区[編集]

1974年(昭和49年)10月の有楽町線池袋 - 銀座一丁目間開業時に発足。開業当初の有楽町線に本格的な車両基地がなく、路線のほぼ中間点となる飯田橋 - 市ケ谷間の地下に検車区を設置した。同時に有楽町線桜田門 - 千代田線霞ケ関間に連絡線を設置し、既設の綾瀬車両基地で整備・月検査および一部の列車検査、車両清掃作業を行えるようにし、飯田橋は留置、列車検査、故障修繕、車両洗浄などを担当した。

検車区の線路は有楽町線のA線とB線の間にあり、途中までは2線あるが飯田橋方で1線に収束する。開業時の5両編成換算で6編成を収容できた。なお収容力が不足するため毎日綾瀬検車区まで回送列車が運転されていた。回送列車は本数削減のため5両編成2本を併結して10両編成で運転するものがあった。

1987年(昭和62年)、有楽町線は和光市延伸を果たす。この時に和光検車区が開所。飯田橋の検査機能は和光へと移転し飯田橋検車区は廃止された。なお廃止後も線路は残されており、10両編成3本が収容可能な留置線となっている他、南北線へとつながる連絡線がここへ接続されている。