食糧増産
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食糧増産 (しょくりょうぞうさん)は、太平洋戦争末期に設立された東京都に本社を置く企業である。
設立に至った経緯[編集]
日中戦争に続く太平洋戦争によって合戦地に大量の兵糧を送ることになり、さらに農民を徴兵によって合戦地に送ったため、食糧とそれを生産する労働力が不足した。1943年、東京都は輸出の目処がなくなった絹を生産するカイコガの養蚕を不要不急の産業として近郊のクワを抜き取り、学徒動員によってその跡地で野菜を栽培する構想を立てた。
概要[編集]
資本金3000万円は、国土計画興業傘下の武蔵野鉄道と旧西武鉄道が出し合った。
化学肥料工場が爆薬製造工場に転換され、化学肥料が不足し、都心で処理に窮していた糞尿の活用のためドラム缶に入れて無蓋車に詰め込んで貨物列車で糞尿輸送を行い、沿線や狭山湖周辺で糞尿を肥料として育てた野菜を貨物列車で都心に送った。
合併[編集]
専属の社員が一人もおらず、経理上の理由で武蔵野鉄道と旧西武鉄道と統合合併することとした。
運輸省は「食糧増産は本省の管轄ではない、農林省の管轄だ」と難色を示したが、1945年9月22日に合併が認められ西武農業鉄道となった。