韮山城
韮山城(にらやまじょう)とは、現在の静岡県伊豆の国市韮山町韮山438-3に存在した日本の城である。戦国大名の開祖である北条早雲の居城として知られている。
概要[編集]
韮山駅の東およそ2キロの地点。韮山高校の背後にある龍城山と呼ばれる丘一帯にかつて存在した城である。
現在は韮高の運動部の山上コートとして使用されている。城の面影としては堀跡のみとなっている。
歴史[編集]
戦国・織豊期[編集]
この城は延徳3年(1491年)に当時、伊豆国を支配していた堀越公方の足利政知が死去し、その後継者をめぐって伊豆国が大騒動になると、その隙に乗じて北条早雲が築いた城と言われている。早雲は政知の跡を継いだ足利茶々丸を追放して後に殺し、伊豆国を制覇して戦国大名として名乗りを上げた。後に早雲が死去するまで、この城は後北条氏の居城として機能した。
早雲の子孫はその後関東を制覇し小田原城に拠点を移したが、中央政権を形成していた豊臣秀吉に従わず、小田原征伐を受けることになる。この時、韮山城主だったのは早雲のひ孫である北条氏規であったが、氏規は4000足らずの兵力で秀吉が派遣した織田信雄率いる大軍を相手に100日余りも籠城する善戦を見せた。このため、秀吉は後北条氏の姻戚で氏規と面識がある徳川家康を送って開城交渉を行なわせ、小田原城が開城する少し前に韮山城は開城している。
その後、関東は徳川家康の所領となり、内藤信成が城主となったが、家康将軍引退直前に駿府に転じている。
江戸時代[編集]
韮山は江戸幕府の天領となった。また三島に代官が置かれたこともあり、韮山城は廃城となった。その後、韮山にも代官所が置かれ、宝暦期に韮山に一本化された。
幕末になって政情不安になると、二の丸跡の小さな平坦地は農兵訓練所として機能した。
明治維新以降[編集]
明治時代初期には韮山高校の起源となる伊豆学校が創建。その後、県立韮山中学を経て現在の韮高となった。
外部リンク[編集]
- 韮山城跡 - 伊豆の国市
- Shizuoka城と戦国浪漫『韮山城』 - 静岡県文化・観光部 観光局観光振興課