難波京
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難波京(なにわきょう)とは、かつての日本の首都であり、日本国という政体の中で初の首都である。
概要[編集]
現在の上町台地一帯、難波津の近辺に造営され、碁盤目状の区画(条坊制)や内裏などの構造が発掘されている。現在の大阪市中央区法円坂には難波宮史跡公園が整備されており、当時の宮殿の構造などを伺い知ることが可能である。
沿革[編集]
仁徳天皇の難波高津宮の成立は同地に比定されており、日本国としてだけでなく倭国の首都としても最初のものである可能性がある。
難波高津宮のあとには孝徳天皇によりふたたび同地へ遷都された。また奈良時代の726年(神亀3年)には聖武天皇により今度は奠都が行われ、平城京の副都となった。しかし745年2月6日(天平17年1月1日)には難波京から紫香楽宮への遷都が発表され、短期間の首都であった。このころの聖武天皇は多くの地域へ行幸を行い、恭仁京など都の造成を相次いで実施しており、首都の場所を決めかねている状態であった。
廃都後[編集]
難波京が都でなくなったあとも建物は残存していたとみられ、桓武天皇による長岡京への遷都の際には難波京の建造物が移築されている。
条坊制について[編集]
中華文明の都城制を基本として成立したこの条坊制は、藤原京の成立を以て初めて日本に取り入れられたということが現在の定説であるが、難波京の条坊の成立時期が藤原京よりも先行する(孝徳天皇時代の建設)という研究もあり、発掘調査の進展によって歴史が変わる可能性がある。
しかし大阪都心に位置していることから発掘調査は困難を極めており、当時の比定なども難しい状況である。