長野電鉄河東線

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長野電鉄
河東線
基本情報
現況 一部廃止(屋代 - 須坂)、一部現存(須坂 - 湯田中)
日本
所在地 長野県
種類 普通鉄道
区間 屋代駅 - 須坂駅 - 信州中野駅 - 湯田中駅
起点 屋代駅
終点 湯田中駅
駅数 31駅(全通時)
開業 1922年(大正11年)6月10日
運行系統再編 2002年9月18日
区間廃止 2012年4月1日(屋代 - 須坂)
最終延伸 1927年4月28日
全通 1927年4月28日
廃止 2012年4月1日(屋代線区間)
所有者 長野電鉄
運営者 長野電鉄
路線構造 地上
車両基地 須坂車庫
使用車両 2000系3500系2500系ほか
路線諸元
路線距離 50.8km
営業キロ 50.8km
軌間 1,067mm
線路数 単線(一部複線)
電化区間 全線
電化方式 直流1,500V
最大勾配 40‰
保安装置 ATS-S / ATS-P
駅間平均長 1.69km

河東線(かとうせん)は、かつて長野県屋代駅千曲市)から須坂駅信州中野駅を経て湯田中駅山ノ内町)までを結んでいた長野電鉄の鉄道路線である。

2002年(平成14年)の運行系統再編により、実質的に名称としての「河東線」は消滅したが、歴史的には北信地方の東側(千曲川東岸)を縦断する大動脈として機能した。

歴史[編集]

河東鉄道の設立と全通[編集]

大正時代、北信地方の東側に鉄道を敷設する目的で河東鉄道が設立された。当時、千曲川西岸には国有鉄道(信越本線)が通っていたが、東岸の地域振興と、志賀高原の木材輸送・電力開発を背景として建設が進められた。

  • 1922年(大正11年)6月10日:河東鉄道により屋代 - 須坂間が開通。
  • 1923年(大正12年):須坂 - 信州中野間が開通。
  • 1927年(昭和2年):信州中野 - 湯田中間が開通し、現在の全区間が繋がる。

この間、1926年(大正15年)に河東鉄道は長野電気鉄道を合併し、社名を長野電鉄へと変更している。

黄金期とスキー観光[編集]

昭和初期、河東線は単なる生活路線に留まらず、志賀高原への観光路線として急速に発展した。上野駅から屋代駅を経由して湯田中駅まで直通する国鉄の急行「志賀」が乗り入れるなど、首都圏からの湯治・スキー客を運ぶ重要な役割を担った。

路線の再編と廃止[編集]

モータリゼーションの進行と沿線人口の減少に伴い、路線の位置付けが変化していった。

  • 2002年(平成14年):運行系統を長野駅中心に再編。
    • 須坂 - 信州中野 - 湯田中:長野 - 須坂間の「長野線」と統合され、長野線(通称:山の内線)となる。
    • 屋代 - 須坂:名称を屋代線に変更。
  • 2012年(平成24年):利用者の減少が止まらず、4月1日をもって屋代線(旧河東線の一部)が全線廃止。バス転換となった。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):50.8km(屋代 - 湯田中)
  • 軌間:1,067mm
  • 電化区間:全線(直流1500V)

駅一覧[編集]

※再編直前の主要駅

屋代駅 - 松代駅 - 若穂駅 - 須坂駅 - 小布施駅 - 信州中野駅 - 上条駅 - 湯田中駅

遺構と現状[編集]

現在、信州中野 - 湯田中駅間は長野電鉄の主力区間として存続しており、特急車両が往来している。一方、廃止された屋代線区間では、松代駅の旧駅舎が保存されるなど、かつての「河東鉄道」時代の面影を今に伝えている。また、湯田中駅のスイッチバック跡など、急勾配に挑んだ山岳鉄道としての技術的痕跡も一部現存している。

参考文献[編集]

  • 『長野電鉄60年のあゆみ』 長野電鉄株式会社、1980年。
  • 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』 新潮社、2008年。

関連項目[編集]