赤の他人

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赤の他人』(あかのたにん)は、手塚治虫による中二病的短編SF漫画作品。

『デラックス少年サンデー』(小学館)1970年2月号に掲載された。

あらすじ[編集]

ある日、小林アキラは自分の周りはすべてニセモノだと気がついた。父も母も友人も、赤の他人が父、母、友人の役割を演じているのだ。この世界とはアキラに見えている部分だけが存在している芝居のようなものだ。

家を飛び出したアキラは、野良猫に導かれ、ある場所へとたどり着く。そこでは人間の姿をしていない父、母たちがドラマ「アキラの一生」の筋書きについて話し合っていた。アキラは飛び出して、ドラマのシナリオをめちゃくちゃにした。

ここでアキラの人生は終わり、新しいドラマが始まる。野良猫はアキラの前のドラマの主人公であった。アキラ同様にドラマをめちゃくちゃにし、姿を変えられたのだった。アキラは蝶々に姿を変えられたが、どうにかして新しいドラマの主人公にこの世界が作り物だと教えようとする。

類似作品[編集]

1998年にアメリカ映画『トゥルーマン・ショー』が公開された際には、本作のパクりではないかという意見が出た。2008年には非公式であるがトゥルーマン・ショー妄想という概念が提唱される。

「テレビ放送される人生」という妄想はこの映画以前からも存在している。フィクションの分野でもフィリップ・K・ディックの小説『時は乱れて』(原題:Time Out of Joint1958年)などにも見られるアイデアである。『トゥルーマン・ショー』も『時は乱れて』を参考にしている。

『時は乱れて』は「人為的につくられた世界。その世界の幻想を保つため雇われた偽の“家族”や“友人”に囲まれて生きる主人公」という本作と同様のストーリーとなっている。なお、誰がなんのためにそのようなことをしているかについては、『時は乱れて』と本作ではまったく異なる。

手塚の作品でも以下のように「いつの間にか入れ替わっていた」というアイデアは使用されている。

外部リンク[編集]