紀元2600年記念日本万国博覧会
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東京万博は、1940年に東京都で開催が予定されていた国際博覧会である。正式名称は「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」。神武天皇即位から2600年を祝う国家的記念事業として企画されたが、日中戦争の激化に伴い中止された。
開催予定地[編集]
会場は東京都中央区晴海の埋立地に設けられる予定であり、現在の晴海埠頭周辺がその候補地であった。この地域は博覧会のために都市インフラの整備が進められ、勝鬨橋などの建設が行われた。
計画の経緯[編集]
1934年、日本政府は紀元2600年を記念する国家的イベントとして万国博覧会の開催を構想した。1937年には「日本万国博覧会協会」が設立され、国内外の参加国の招致やパビリオンの設計など、具体的な準備が進められた。博覧会は春から秋にかけての開催が予定されていた。
中止の理由[編集]
1937年に勃発した日中戦争の影響により、国際情勢が急速に悪化した。欧米諸国との関係も緊張し、参加国の確保が困難となった。また、国内の資源や人員が戦争に集中する必要が生じたため、1938年に正式に中止が決定された。同時期に予定されていた1940年東京オリンピックも同様に返上されている。
遺構と影響[編集]
東京万博は実現しなかったものの、準備段階で整備されたインフラは現在も東京の都市景観に影響を与えている。特に勝鬨橋は、博覧会の象徴的な構造物として建設され、現在も中央区のランドマークとして残っている。また、万博の構想は後の都市計画や国際イベント開催の基盤となった。