杉井ギサブロー

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杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、1940年8月20日 - )は、アニメーション監督。本名は杉井儀三郎(すぎい ぎさぶろう)。日本画家としての雅号は砂風[1][2]

日本映画監督協会会員[3]日本アニメーター・演出協会会員[4]。アニメーターの杉井興治は実弟。

経歴[編集]

静岡県沼津市生まれ。1958年東映動画に入社。『白蛇伝』(1958年)、『少年猿飛佐助』(1959年)、『西遊記』(1960年)の動画を担当[5]。1961年虫プロダクションに入社。『ある街角の物語』(1962年)の原画、『鉄腕アトム』(1963-1966年)の原画や演出、『新宝島』(1965年)の作画監督を担当[5]。1967年に虫プロを退社し[5][6]高木厚出﨑統らとアートフレッシュを設立。『悟空の大冒険』(1967年)でテレビアニメを初監督[7]。『どろろ』(1969年)の総監督を担当したが、「ギャグものに路線変更したい」という手塚治虫の提案に違和感を覚えて降板し、第14話から『どろろと百鬼丸』に改題された[8]

『どろろ』制作中に田代敦巳から新会社の設立に誘われ、アートフレッシュを退社[6]。1969年に田代敦巳、明田川進らとグループ・タックを設立。『千夜一夜物語』(1969年)や『クレオパトラ』(1970年)の原画、『哀しみのベラドンナ』(1973年)の作画監督を担当[5][9]。『ジャックと豆の木』(1974年)で劇場用アニメを初監督[10]。同作は文部大臣奨励賞を受賞[11]。1975年にグループ・タックを退社してフリーとなる[5]。タックで『まんが日本昔ばなし』(1975-1994年)の立ち上げに参加した後、『平家物語』のアニメ化を企画するが、自らの限界を感じ、約10年に及ぶ放浪の旅に出る[12]。自分で描いた絵を売りながら全国各地をめぐり、途中から『まんが日本昔ばなし』の絵コンテの仕事もした[13]

孫悟空シルクロードをとぶ!!』(1982年)[7]のキャラクターデザイン・演出協力、『ときめきトゥナイト』(1982-1983年)のタイトルアニメーションを経て、『ナイン』(1983年)でアニメ界に本格的に復帰[7][12]。『ガラスの仮面』(1984年)[7]、『タッチ』(1985-1987年)の総監督、『銀河鉄道の夜』(1985年)の監督を担当。『タッチ』は大ヒットとなり、第3回日本アニメ大賞アトム賞を受賞。『銀河鉄道の夜』は第40回毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞。その後、『紫式部 源氏物語』(1987年)、『ストリートファイターII MOVIE』(1994年)、『陽だまりの樹』(2000年)、『羊のうた』(2003年)、『あらしのよるに』(2005年)、『グスコーブドリの伝記』(2012年)などの監督を担当。『陽だまりの樹』は第4回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。『あらしのよるに』は第30回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞。

2004年時点でグループ・タック所属[1]。2006年京都精華大学マンガ学部アニメーション学科教授。2007年日本アニメーター・演出協会(JAniCA)設立に発起人として参加[14]。2010年平成22年度文化庁映画賞映画功労部門受賞。2012年石岡正人監督のドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』が公開。2021年京都精華大学名誉教授[15]

一般社団法人日本昔ばなし協会主催の「海ノ民話のまちプロジェクト」の「海ノ民話」選定委員[16]

人物[編集]

1970年代半ばから1980年代初頭までアニメ界を離れ[17]、8年間にわたって日本全国を放浪していた[18]京都の書店であだち充の漫画『タッチ』を読んだことがアニメ界に戻る契機となった[18]。その後、大阪であだち充の『ナイン』のスペシャル版の演出を誘われて承諾し、放浪の旅を終えた[18]。『ナイン』3部作(1983-1984年)を監督した後、テレビシリーズ『タッチ』(1985-1987年)を監督した。同時進行で『銀河鉄道の夜』(1985年)、劇場版『タッチ』3部作(1986-1987年)を手がけた[19]。その後も監督作品を発表し続け、アニメ界を代表する監督の1人となった[17]

テレビシリーズ『タッチ』にはオープニングが5バージョン、エンディングが4バージョンあり、少なくとも第3バージョンまでのオープニングの演出を担当した[20]。『タッチ』ではBGオンリー(キャラクターのいない背景だけのカット)を多用し、BGオンリーのカットでは「じわPAN」(ゆっくりとカメラがPANするカメラワーク)、「じわ寄り」(ゆっくりとカメラが寄っていくカメラワーク)を多用した[19]。アニメーション監督を務めた前田庸生によると、「じわPAN」「じわ寄り」は『タッチ』で生まれた技法である(『アニメージュ』2006年2月号)[19]

小黒祐一郎は『タッチ』について「かつてないほどに、間を巧みに使った作品だった。BGオンリーだけでなく、キャラクターの会話、野球の試合の場面でも、効果的に間が使われていた」[19]、「アニメ『タッチ』の画作りや演出はスタイリッシュでもある。スタイリッシュさも、あだち充の原作にあるものだが、それをきちんと拾いあげ、フィルムで活かそうとしたところが凄い」[20]、「原作の映像化を見事に成功させた作品だったが、原作をそのまま映像に引き写した作品ではなかった。アニメスタッフの考えや美意識が入った別の作品だった」[21]と評している。また杉井については独自の演出スタイルを持たないこと、モチーフやテーマ、キャラクターにこだわりがないこと、アニメファンとリンクした作品を手がけないことから特別な存在であると評している[17]

大山くまおは杉井と出﨑統には共通点が多いとし、「『タッチ』に見られるような“じわ寄り”“じわパン”と呼ばれるゆっくりとしたカメラワークで人間のおぼろげな情感を表現しようとした杉井と、“三回パン”と呼ばれるスピーディーで激しいカメラワークで人間の奔流のような情念を表現しようとした出崎。両者とも説明的な表現を嫌い、子供向けの娯楽としてのアニメという枠に飽き足らず、アニメを用いた人間のドラマを追い求めていた。生きることの裏側には死があり、死があるからこそ生が輝く。そんな考え方も共通しているのではないだろうか。」と述べている[22]

『銀河鉄道の夜』は淀川長治から「このアニメを見るなり書きたいと自分から名のり出た。自分から原稿を書きたいと雑誌社にたのんだのはヴィスコンティの「家族の肖像」(一九七五)とこれだけである」と絶賛され[23]、読者選出の『キネマ旬報』ベストテンで第7位に選ばれた[24]

アニメ『ルパン三世』シリーズは、杉井と勝井千賀雄がアニメ化の企画を東京ムービーに持ち込んだことから始まった[25]。『ルパン三世』を劇場用長編アニメとして東宝に売り込むためにパイロットフィルムを制作することになり、大隅正秋、杉井、芝山努小林治大塚康生が準備スタッフとなった[25]。杉井は監督をやるつもりであったが、Aプロダクション社長の楠部大吉郎のすすめで原画となり[26]、『ルパン三世 パイロットフィルム』(1969年)で銭形警部や不二子のゴーゴーのカットを担当した[25]。その後、『どろろ』(1969年)の監督をすることになって『ルパン三世』から離れたが、1996年にテレビスペシャル『ルパン三世 トワイライト☆ジェミニの秘密』を監督した[26]

虫プロアニメラマ3部作では、第1作『千夜一夜物語』(1969年)で女護ヶ島のイメージ的なエロチックシーンと洞窟での盗賊のパーティのシーン、第2作『クレオパトラ』(1970年)で線画によるエロティックシーンと鏡を使って画を二分して見せたシーンを描いた[1]。第3作『哀しみのベラドンナ』(1973年)で作画監督を担当した。やなせたかしを『千夜一夜物語』のキャラクターデザインに推したのは杉井であるとされる。2004年の杉井へのインタビューでこのことについて聞かれ、「大人向けのアニメを作るという事で、色んな人が候補に上がりましたが……。その時に僕がやなせさんがいいと言ったのかもしれない。」と答えている[1]

ときめきトゥナイト』(1982-1983年)ではタイトルアニメーションという役職のクレジットでエンディングを担当した。オープニングは担当していない[27]。小黒祐一郎は「この作品のエンディングは強烈だった。…ヌード以外も、顔の前で手を開いて見せるカットなど、艶っぽさがあった。お洒落でエロチックな、エンディングだった。…さすがは『哀しみのベラドンナ』を作った人物だ。」と評している[28]

主な参加作品[編集]

連続テレビアニメ[編集]

単発テレビアニメ[編集]

劇場用アニメ[編集]

OVA[編集]

その他[編集]

著書[編集]

  • 『アニメーション 宮沢賢治 銀河鉄道の夜 演出台本&絵コンテ集』(別役実共著、朝日ソノラマ[宇宙船文庫]、1985年)
  • 『アニメと生命と放浪と――「アトム」「タッチ」「銀河鉄道の夜」を流れる表現の系譜』(ワニ・プラス[ワニブックス「Plus」新書]、発売:ワニブックス、2012年)

出典[編集]

  1. a b c d 「アニメラマ三部作」を研究しよう! 杉井ギサブロー インタビュー(前編) WEBアニメスタイル
  2. 杉井ギサブロー氏インタビュー 映像産業振興機構
  3. 杉井ギサブロー 日本映画監督協会
  4. 主な会員一覧 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)
  5. a b c d e JESPA編『やさしいアニメーションのはなし』蜻蛉舎、発売:文久書林、1978年、100-103頁
  6. a b 明田川進『音響監督の仕事』星海社新書、2025年、280-281頁
  7. a b c d 杉井 ギサブロー(クリエイター) マンガペディア
  8. 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第12回 「どろろ」と白黒アニメの終焉 アニメハック、2019年2月4日
  9. 「アニメラマ三部作」を研究しよう! 杉井ギサブロー インタビュー(後編) WEBアニメスタイル
  10. アニメーション監督 杉井ギサブローの世界 京都国際マンガミュージアム
  11. 歴代の燦々ぬまづ大使の皆さん 沼津市
  12. a b Animation Meister Vol.6 杉井 ギサブロー 文化庁メディア芸術プラザ
  13. 明田川進『音響監督の仕事』星海社新書、2025年、235頁
  14. 発起人 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)
  15. 名誉教授一覧 京都精華大学
  16. 海ノ民話のまちプロジェクト 海ノ民話のまちプロジェクトオフィシャルサイト
  17. a b c 小黒祐一郎「アニメ様365日 第239回 杉井ギサブローと『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』」WEBアニメスタイル、2009年10月29日
  18. a b c 『マイアニメ』1986年5月号
  19. a b c d 小黒祐一郎「アニメ様365日 第257回 『タッチ』(TV版) 」WEBアニメスタイル、2009年12月1日
  20. a b 小黒祐一郎「アニメ様365日 第260回 『タッチ』のOPと杉井ギサブロー」WEBアニメスタイル、2009年10月29日
  21. 小黒祐一郎「アニメ様365日 第261回 『タッチ』最終回とラス前」WEBアニメスタイル、2009年12月2日
  22. アニメの世界に引き戻したのは、あだち充の漫画だった「アニメ師・杉井ギサブロー」 エキサイトニュース、2012年9月19日
  23. 淀川長治「特別寄稿 銀河鉄道の夜 えらいことをやりとげた 「銀河鉄道の夜」」『キネマ旬報』1985年7月下旬号
  24. 銀河鉄道の夜 国立映画アーカイブ
  25. a b c 大塚康生「インタビュー 大塚康生 自問自答を繰り返した「ルパンはどんな人間なんだろう?」」『THEルパン三世FILES 増補改訂版』キネマ旬報社、1998年
  26. a b 杉井ギサブロー「ルパンと私 28年ぶりの再会に胸のトキメキを感じて」『THEルパン三世FILES 増補改訂版』キネマ旬報社、1998年
  27. 小黒祐一郎のツイート
  28. 小黒祐一郎「アニメ様365日 第116回 ゲキゲキアニメ」WEBアニメスタイル、2009年4月28日

関連文献[編集]

  • ますむらひろし『イーハトーブ乱入記――僕の宮沢賢治体験』(ちくま新書、1998年)
  • 「この人に話を聞きたい 第83回 杉井ギサブロー」(『アニメージュ』2006年1月号)
  • スタジオ雄編著『PLUS MADHOUSE 04 りんたろう』(キネマ旬報社、2009年)
  • 横田正夫、小出正志、池田宏編集『アニメーションの事典』(朝倉書店、2012年)
  • 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文春ジブリ文庫、2013年)
  • シネマノヴェチェント編集『グループ・タックのきらめき――『まんが日本昔ばなし』『銀河鉄道の夜』を生んだアニメ制作会社の軌跡』(シネマノヴェチェント、2016年)
  • 奥田誠治『アニメの仕事は面白すぎる――絵コンテの鬼・奥田誠治と日本アニメ界のリアル』(出版ワークス、2020年)
  • 吉田豪『吉田豪の巨匠ハンター』(毎日新聞出版、2020年)
  • 三沢典丈『アニメ大国の神様たち――時代を築いたアニメ人インタビューズ』(イースト・プレス、2021年)
  • 河治和香『よりぬきお江戸じょんのび便り』(新潟日報社読者局出版企画部、発売:新潟日報メディアネット(メディアビジネス部出版グループ)、2025年)

外部リンク[編集]