旭鷲山昇
旭鷲山昇(ダヴァー・バットバヤル、1973年3月8日‐)は、モンゴルウランバートル市出身(生まれはホブド県)の元大相撲力士。大島部屋に所属していた。
概要[編集]
軽量ながら多彩な技で活躍し、技のデパートモンゴル支店と呼ばれていた(本店は当時最軽量だった舞の海)。
角界引退後はモンゴルで実業家となり、国会議員も歴任した。
略歴[編集]
幼少期[編集]
幼少期は馬乳酒をよく飲んだため大きくなり、幼稚園に小学生が来たと言われた。幼稚園時代はなんでも口にする子供で石を飲んだり、剃刀の刃を飲んで周囲を心配させた。
10歳の時に林間学校の小オリンピックの相撲部門で優勝した。子供時代によく遊んだのは「オオカミとタルバガン」というモンゴル特有の鬼ごっこ。小さい頃は引っ越しを繰り返していた。
学童期[編集]
中学では相撲クラブに入り、ウランバートルの相撲大会で優勝。全国大会では6位に入った。技能賞を貰う。全国中学生レスリング大会では73キロ級で銀メダルを貰う。旭天鵬や旭天山とも出会った。
中学卒業後は工業高校へ進学し、寮長になったが少々やりすぎたため学校をやめることになり、警備員や荷役夫として働き、窃盗犯を捕らえて警察からも評価された。その三つで働いて給料をもらいつつ、レスリング大会に参加、メダルを獲得する。モンゴルでは18歳は成人なので、その年になったら警察で働くつもりだった。
大相撲入門[編集]
モンゴルのテレビで日本の相撲界からの力士募集の告知が出た。1991年12月の事である。両親が勝手に応募し、選抜大会で2位になり選ばれる。
日本で困ったのは、暑さと漬物の匂いとちゃんこの匂い、魚を食べる事に閉口したという。言葉の違いやカルチャーショックもあり、一度は脱走しているが、部屋のおかみさんのとりなしで復帰している。
関取昇進後[編集]
最高位は小結。連続平幕在位58場所含む幕内在位62場所を記録した。
日本国籍は取得せず、2006年(平成18年)に引退。
同時代の主な好敵手[編集]
- 大関 貴ノ浪
- 大関 千代大海
- 大関 出島
- 関脇 土佐ノ海
- 小結 玉春日
- 前頭 琴龍
参考文献[編集]
- 旭鷲山昇 『自伝旭鷲山 大草原から土俵へ』、1997年3月15日。