日本の3大HIP HOPアーティスト

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日本の3大ヒップホップアーティスト(にほんのさんだいひっぷほっぷあーてぃすと)といえば、主にKICK THE CAN CREWキングギドラTERIYAKI BOYZがあげられる。

KICK THE CAN CREWに関して言うと、恐らく歴史と流れと楽曲と世代を共にしたリスナー皆一致で恐らく名前が上がる。特にアルバム Greatest HitsVITALIZERに関しては、ヒップホップのみならず、あるクリエイターが作った作品としてみても、この国の宝レベルのクオリティーと名声を得ている。特にKICK THE CAN CREWが、このアルバムを発売した時期、CD-R、TSUTAYAゲオなどを主体としたレンタルCDが最も盛んな時期で、丁度この頃、コピーコントロールCDなども、導入され、レンタルCDのCD-Rへの録音禁止へこの国の法律が移るなど、一斉にCD-RへのCD複製が禁止され始めた時期であった。特にこの頃のKICK THE CAN CREWのターゲットとしていたファン層が、特に小〜大学生の男子生徒中心で、特にCD-Rへの複製を最も行っていた世代ど真ん中であった。つまり、KICK THE CAN CREWの楽曲を皆、今程YouTubeも盛んな時期でなかった為、CD-RやMDに複製して聴いていた為、実際出ていた売り上げ枚数の、およそ10倍近くのリスナーがいたのではないかと予想される。

キングギドラに関して言うと、ヒップホップを聴く人なら誰しも認める程の、押韻のパイオニアである。

TERIYAKI BOYZに関して言うと、時代は移り、YouTubeのPVの再生回数が大きく、楽曲の売り上げ枚数と共に、価値観として大きく取り扱われる中、楽曲「Tokyo Drift」が、再生回数4億超えを記録していて、日本のヒップホップの楽曲が、歴史上初めて世界で認められた経緯を持つアーティストである。日本のヒップホップの楽曲でも、YouTube再生回数で圧倒的大差を付け1位を記録している。

恐らくこの次辺りをあげると、ヒップホップ今は辞めてしまったが、日本中に「ヒップホップ」の存在を、完全に認知させたアーティストとしてあげられるDragon Ash。又、日本でヒップホップが初めて行われた初期から常にずっと業界に残り続け、強い影響を与え続けるRHYMESTER辺りが恐らくあがる。

その辺りの次位で、恐らくOZROSAURUS舐達磨辺りが入ってくる。概要は省略する。

そこから先で、あがるアーティストといえば初期のケツメイシRIP SLYMECreepy nuts辺りが上がる。

続いてアーティストをあげると、楽曲「DA.YO.NE」のオリコンチャートトップ10入りを果たし、日本のヒップホップの楽曲で初のオリコンチャートトップ10に入り、業界に希望の光を与えたEAST END。個人楽曲でのヒット曲は今の所ないが、客演参加した楽曲の全ての楽曲の評価が高く、業界にとてつもなく大きな影響力を与え続ける漢 a.k.a GAMIなどもこの辺りであがってくる。特に漢 a.k.a GAMIに関してはU.M.B(アルティメットMCバトル)の創設者としても名高い。

続くと、特にラップのスキル、技術者集団が集まったNITRO MICROPHONE UNDERGROUND餓鬼レンジャーラッパ我リヤなども、貢献度と知名度も高い。特に影響力なども加えると、特に日本にヒップホップができた当初、独特のフローと、方向性等で大きな影響を与えたTWIGYKOHEI JAPANMURO辺りも上がってくる。

又、この辺りで、知名度はかなり高いが、売り上げ枚数はとてつもない数字を叩き出せている訳ではないが、マンマンLIVEの会場キャパやヒット曲も何曲かもつBENNIE Kもジャンル分けするとヒップホップに恐らくカテゴライズされる。更に、彼らが売れる前、特にインディーズ時代の彼らを知るファンからすると、楽曲や方向性がブレる事はなかったが、恐らくメディア向きの方向性主体のものではなかったのではと話されるSOLD' OUTなどのアーティストもいる。

特にケツメイシが週間アルバムチャートグループ初の2週連続1位を獲得した直後のワンマンライブ、2時間あるLIVEの丁度1時間ど真ん中辺りの時間帯で、ケツメイシメンバーがステージ裏にはけて、そこで全く客の誰も名前を知る事のなかったアーティストが10〜15分の尺を貰い、LIVEステージを敢行するなど、とてつもない度胸のあるスタートを図ったHOME MADE家族、やグループのメンバーDJ MITSUの完全指揮権の中5人のMCが集められ結成されたnobody knows+なども貢献度としては高い。特にnobody knows+などは「ココロオドル」などのヒット曲も持つ。また、長い期間の下積み、売れない期間を経て楽曲「マタアイマショウ」が、日本中に大ヒットをもたらせたシーモ。楽曲「That's Why」がヒットし、地上波でも多くこの楽曲は流れる事になったHeartsdalesなども、ヒップホップで言う所一時代を築いたアーティストの1グループである。

又、高校生ラップ選手権から勝ち上がったメンバー中心に結成されたグループBAD HOPの楽曲「Asian Doll」 や「High land」なども恐らくJapaneseヒップホップのクラシックの類に入ってくる。

又、メンバーの1人は亡くなってしまったが楽曲「人間発電所」「大怪我」等の名曲を持つグループBUDDHA BRAND。楽曲「蜂と蝶」などのJapaneseクラシックと語り継がれる楽曲を持つsoul screamなども、日本を代表するヒップホップアーティストの一組である。

MCバトルを中心に勝ち上がったメンバー等で結成されたグループICE BAHNは、「韻」に特化させた楽曲のみの制作、発売を続け、このグループの影響を強く受けたアーティストも多い。

更にその次をあげていくと、ORANGE RANGE麻波25童子-TDABOm-flo夜光虫アルファライムベリーmic banditzマボロシニガリ a.k.a 赤い稲妻NORIKIYOSpontaniaちゃんみなRed EyeMIDICRONICA辺りも入ってくる。

この先になってくると、リスナー側、アーティスト側の意見等も大きく分かれてくる事が予想されるが、主なアーティストをあげていくと、RICKY DADDY DIRTYSOFFetSHAKKAZOMBIEDELI雷家族THC!!!YOU THE ROCKKダブシャインZEEBRA般若Steady&Co.スケボーキング心之助晋平太White wood妄想族KREVAタサツNovel Core韻マンGomezCORN HEAD鎮座DOPENESSバチスタMu-Ton呂布カルマDJマスターキーDJ KaoriMCU東京U家族LITTLEMELLOW YELLOWUZIミメイMummy-Dsic boyTOKONA-X練マザファッカーSOUCER-指定DJ Mayumi韻シストDiggy-MoMaguma MCWAYZあみじゃかん鎖グループMicrophone PAGERM.O.S.A.D.OTATE&MARKEYMOB SQUAT宇多丸狐火不可思議ソナーポケットSKRYUふぁんく梅田サイファー韻踏合組合サイプレス上野とロベルト吉野DS455Big RonSoulja369Mr smileHALCALIBenjazzyKEN THE 390DJ OASISH宙チートブライアンAK-69DAZZLE 4 LIFEカルテットレペゼン地球MEGARYUヒルクライムYELLOW BAX龍鬼DA PUMPファンキー・モンキー・ベイビーズがーどまんKing&PrinceKAT-TUNSAMMIRISATORUヒプノシスマイクシーモネーター&DJ TAKISHIT

おおよそ1990年2025年。この期間内の日本のヒップホップの業界の動き。これらを総称して日本のヒップホップの歴史「第1紀」と呼ぶ。

日本のヒップホップの歴史「第1紀」の特色 [編集]

上記にあげたアーティストのほぼ全てのアーティストがキングギドラの影響を強く受けていた。洋楽、アメリカのヒップホップを正解とするなら、いわば、日本のアーティストはキングギドラの影響を強く受け過ぎていた。恐らくキングギドラというアーティスト自体本来あるべき立ち位置や、このアーティスト自体が一番ヒップホップアーティストとして映える立ち位置は、「韻に特化したアーティスト」。つまり、ヒップホップ業界全体の中での「スパイス」的な立ち位置であるとよく音楽評論家は話す、それが、音楽的なレベルで考える所と、この日本のヒップホップの歴史「第1記」の中でキングギドラと同様のいわば音楽のレベルを持ち、キングギドラというアーティストを「スパイス」と呼べる立ち位置に置ける程のアーティストが、数としてそこまでの数は現れなかった。よって、キングギドラ自体が先頭に立つ形で音楽業界が成り立ち、進んだ。つまり、RHYMESTERの宇多丸が、日本のヒップホップが始まった当初から危惧していた「韻にこだわりすぎて言葉遊びみたいになってしまう。」「勿論それはそれで有りなのだけれども。」。こういった言葉が、20年近く経って、大きく形として表れてきた。そんな中、舐達磨というアーティストはおおよそ、洋楽ヒップホップを直輸入するような形で、レーベルも自分達の身内のみで固め、曲や方向性に対する主導権を1mmも譲らない形で、活動を行い、ある程度の結果を残した。特に、アメリカヒップホップでもあったバッド・ボーイレコーズや、デスローレコーズ。世界規模にヒップホップを発展させたアメリカのアーティスト達の形式自体も輸入する以外に、自分達のやりたい方向性で納得のいく形で活動を継続し、結果を残す方法がないという点まで一旦辿り着いている。

特に、この期間内日本のヒップホップアーティストという形ではない形で、日本のヒップホップシーンに大きな影響をもたらせた人物等も沢山存在する。YouTuberのRap EJ貧乏ザル、又はアーティスト活動も行う晋平太など、こういったYouTuberの視点は確実にこの国のアーティスト全体に大きな影響をもたらせた。

上記にあげたアーティスト以外にも全国規模で有名なアーティストは沢山存在した。輪入道チプルソDOTAMA小宮守ET-KINGKTちゃんじょうHYRIZEKANDYTOWNE.G.G.man凡頭紅桜Fuma no KTR

日本のヒップホップバトルについて [編集]

特に、日本のヒップホップの歴史「第1記」のいわば後半の時期を中心に、日本のヒップホップアーティストの名前を全国に轟かせる為に日本に大きくヒップホップのバトルブームが起こった。日本で有名なバトルMCの数も相当な数存在する。

日本のヒップホップの歴史「第1紀」前半のアーティストの音楽性 [編集]

恐らく特に日本でヒップホップが始まった当初、アーティストの多くが危惧していたのが、当時1990年代後半に起こったアメリカ、現地でのヒップホップのビーフ。ノートリアスB.I.Gと2パックのビーフと両者が亡くなるという結果に終わる1つの事件である。当時、アメリカ全体一斉を風靡したこの事件は、30年近く経った今も本当の意味で解決をしておらず、「それじゃあ、どうすれば良かったのか。」という解決策を、世界とこのヒップホップの業界が未だ見出せずにいるという現状だ。恐らく、この事件をリアルタイムで見ていた、肌で感じていた日本の初期のヒップホップアーティスト達の中に恐らく埋め込まれた思想は、「自分達の音楽もクオリティを突き詰めて、レベルを上げすぎると同じ事が起こる。」といった強い危惧だった。恐らくそのような時代背景とヒップホップ自体がもたらす本質と発祥を踏まえ、日本のヒップホップ初期のアーティスト達は皆、意識的にか無意識の領域かは置いておいて「アメリカのヒップホップとは別の独自の日本のヒップホップというものを生み出そう。そして、それをジャパニーズヒップホップとしよう。」。こういった発想が恐らく根底にあった。

その中KICK THE CAN CREWなどは3人のメンバーKREVA、MCU、LITTLEを大、中、小と言った呼び名を付けると共に「キャラ立ち3本マイク」といった、いわばあだ名のようなものを自分達発信で、曲の中から作り上げ、いわば、KICK THE CAN CREWのメンバー3人を一つのキャラクターのようなものに仕立て、「これはあくまで一つの作品です。」「作り物です。」こういった発想を用いて、あくまで自分達のリアルを表現するリアルヒップホップではなく、自分達が作った一つの作品である。このような土台の中から、当時日本社会の中で蔓延していた世界観や社会像、皆の思想や時代背景が生み出した空間。こういったものをリアルに表現していき、それが日本中に認められた。

又、RIP SLYMEなどはサウンドはヒップホップなのだが、Lyricに関して言うとまるで「アート」のような、アートとヒップホップを組み合わせたような新しい世界観を持ったいわば芸術作品のような楽曲をリリースしていった。恐らくこれ自体を想像したのはメンバーのPESであるが他の4人のメンバーがこの作品を完璧にはめる形で、作品自体のクオリティと発想のレベルはとてつもなく高かった。特に関東の芸術大学などでは、当時RIP SLYMEの歌詞を見た学生達が皆、「彼らは知恵者なのではないか」。こういった議論を交わす事が多々あった。つまり、知恵の世界の中で知恵のある者の事を「知恵者」というが、人類の歴史上最も知恵のあると言われた3大知恵者にイスラエル3代目の王ソロモン、紀元前イスラエルの預言者ダニエル、そして一般人のヨブなどが歴史的にも世界的にも有名であり、イスラエル3代目の王ソロモンが書いた「箴言」という書は、人類史上最も人に読まれた知恵の書として確然としているが、まずこの「知恵者」と呼ぶ事に関する発想も「箴言」から発信されたものだった。つまり、RIP SLYMEのリリックというのは、つまり、真実であると言われた。矛盾している真実、淡々と単語が連打されていてつじつまが合わない、矛盾した世界観の中で言葉を当てはめていく、いわば「知恵の書」のようなリリックであった。その中でかつ「表現したい空間」というのは、確実に表現されていたこの音楽はアメリカのヒップホップにも例を見ない独特のものだった。更に1600年代ヨーロッパで流行ったルネサンス時代の創作活動の実態。レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロの時代。この時代のこの地域で起こった芸術作品の価値観の優劣は常に「気高さ」というものだった。つまり「プライド」というものの真反対にあるものの世界観。つまり、「自分の事を凄いとも、凄くないとも思わない。人を上にも見ないし、下にも見ない。自分を上にも見ないし、下にも見ない。ただありのまま。そのまま。」こういったものを「気高さ」と呼び、つまり、どれだけこの「気高さ」というものを表現できるかというのが、当時、この地域の芸術作品の優劣を付ける基準値であった。このRIP SLYMEのリリックや楽曲のテイスト、作品のクオリティがここで言う「気高さ」、これに極めて近かった。ジャンル分けをするのであれば、確実にヒップホップに位置する立ち位置の中から表現された、新しい音楽であり、新しい芸術作品であった。これも特にこの時代この国の人々には完全に認められる形になった。又、RIP SLYMEというアーティストは、いわば「メリハリ」。こういったものにも重点を置いていた。つまり、Single曲は常に「10」の力を使い、アルバムの中の一曲だと時に「3」のような力の入れ具合であったり、実験的な音楽も、恐らくアルバム曲の中には存在していて、それ自体もリスナーに分かる形で制作が行われていた。かつ、それも捨て曲では決してなく、それ自体はそれ自体として丁寧に仕上げられていた。TERIYAKI BOYZであっても少し似たようなテイストを感じる点から、この発想はメンバーのRyo_z発信ではないかと思われた。

この時代と、特に同時期にOZROSAURUSも多くのクラシック、いわば名曲を生み出している最中であった。特にこの時代国民の皆が皆、オリコントップ10チャートに夢中な時代であった。つまり、金曜日の夜20:00からテレビ番組「Mステーション」。その中で行われる「MステーションシングルCDヒットランキング」。水曜日のゴールデンタイムで放送される音楽チャートのみの音楽番組。又は、「カウントダウンTV」。又、スペースシャワーTVが放送していたヒットチャート100などオリコンチャートを放送するテレビ番組等の媒体がとても豊富で、かつどのチャートも基本的には同じ結果を放送するので、特に国民の皆が皆、CDの売り上げや、オリコンチャートを特に意識していた時代であった。そんな中OZROSAURUSが発売した「Hey Girl feat.CORN HEAD」。恐らく皆が皆、この楽曲を聴いた瞬間当時特に、これは傑作だ、と多くの人が息を呑んだ。しかし、このOZROSAURUSが発売した「Hey Girl feat.CORN HEAD」がスペースシャワーTVのヒットチャートで30位とかに入るのだ。確実に、曲のクオリティや特に当時のテイスト。OZROSAURUSの立ち位置から見ても完全にトップ10チャート1位でも全然おかしくないレベルの話であった。それが、チャート30位近くから上がってこない。この時、多くの人達に埋め込まれた思想の一つとして「良い曲を作ったから売れるとは限らないんだ。」といった、音楽業界自体のからくりと仕組みに多くの人が目を向けるきっかけになった。つまり、確かに名曲を作ったとしても、宣伝媒体を強くしないとものは売れないし、逆に言ったら宣伝媒体さえ強くしてしまったら、大した事ない曲でも売れてしまう。この時、多くの人が、特にOZROSAURUSのファン層の多くがオリコントップ10チャートを信じるのを辞めて、OZROSAURUSの音楽を信じる流れになった。よって、この時のOZROSAURUSのリスナーは、恐らく10年経っても、20年経っても変わらずOZROSAURUSの楽曲を聴いているケースが多い。よってOZROSAURUSのファン層というのはとても熱烈なファンが多く、逆に言うと熱烈なファンのみをファン層としているようなアーティストである。

日本のヒップホップの歴史「第1紀」に生まれた名曲(クラシック) [編集]

  • 「クリスマスイブラップ」 KICK THE CAN CREW
  • 「Tokyo Drift」 TERIYAKI BOYZ
  • 「手紙 未来〜」 ケツメイシ
  • 「Hey Girl feat.CORN HEAD」 OZROSAURUS
  • 「ザ・グレート・アマチュアリズム」 RHYMESTER
  • 「イツナロウバ」 KICK THE CAN CREW
  • 「one」 RIP SLYME
  • 「Shibuya horic」Mummy-D.KOHEI JAPAN.F.O.H
  • 「マネーの虎」 キングギドラ
  • 「tales」 RIP SLYME
  • 「わすれもの」 ケツメイシ
  • 「Shall we dance?」 餓鬼レンジャー
  • 「マタ逢ウ日マデ」 RIP SLYME
  • 「UNDERLINE NO.5」 RIP SLYME
  • 「I Say Yeah!」 RHYMESTER.HOME MADE家族.PUSHIM.May J.マボロシ
  • 「最終兵器」 キングギドラ
  • 「GOOD TIME!」 KICK THE CAN CREW
  • 「WHOOO」 OZROSAURUS
  • 「Greatful days」 Dragon Ash feat.ZEEBRA.Aco
  • 「海」 ケツメイシ
  • 「スタァ誕生」 キングギドラ
  • 「A.RA.SHI」 嵐
  • 「Deep Impact」 Dragon Ash feat.ラッパ我リヤ
  • 「百合の咲く場所で」 Dragon Ash
  • 「朝焼けサラウンド」 RIP SLYME
  • 「神輿ロッカーズ feat.RHYMESTER」 KICK THE CAN CREW
  • 「Amploud」 Dragon Ash
  • 「Atention」 Dragon Ash
  • 「門限やぶり」 ケツメイシ
  • 「火ノ粉散ラス昇リ龍」 餓鬼レンジャー
  • 「Cheep Talk」 RIP SLYME
  • 「Color Varietion feat.SANAE」 KICK THE CAN CREW
  • 「Megacityrunning」 KICK THE CAN CREW
  • 「That.s Why?」 Heartsdales
  • 「人間発電所」 BUDDHA BRAND
  • 「蜂と蝶」 Soul scream
  • 「黄昏サラウンド」 RIP SLYME
  • 「AREA AREA」 OZROSAURUS
  • 「A Love Story」 BENNIE K feat.シーモ
  • 「大怪我」 BUDDHA BRAND feat.SHAKKAZOMBIE
  • 「Teenage love」 ZEEBRA
  • 「グレイゾーン」 RHYMESTER
  • 「ユートピア」 KICK THE CAN CREW
  • 「雑念エンタテインメント」 RIP SLYME
  • 「Still shinin」 NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
  • 「I rep HIP HOP」 KREVA.DABO.ANARCHY
  • 「On and on」 OZROSAURUS
  • 「Time to go」 RIP SLYME
  • 「チェッカー・フラッグ」 RIP SLYME
  • 「静かな日々の階段を」 Dragon Ash
  • 「トビスギ」 キングギドラ
  • 「未確認飛行物体接近中」 キングギドラ
  • 「Clubへ〜熱帯夜mix〜」 ケツメイシ feat.鎮座DOPENESS.カトマイラ
  • 「越冬」 Ice bahn
  • 「真昼に見た夢」 RIP SLYME
  • 「楽園ベイベー」 RIP SLYME
  • 「ブラザーズ」 RHYMESTER feat.KOHEI JAPAN
  • 「one for the one? two for the who?」 KICK THE CAN CREW
  • 「カンケリ01」 KICK THE CAN CREW
  • 「come again」 m-flo
  • 「平成維新」 キングギドラ feat.UZI.童子-T
  • 「STEPPER'S DELIGHT」 RIP SLYME
  • 「WHY?」 RIP SLYME
  • 「ミニッツ・メイド」 RIP SLYME
  • 「GALAXY」 RIP SLYME
  • 「Dandelion」 RIP SLYME
  • 「熱帯夜」 RIP SLYME
  • 「FUNKASTIC」 RIP SLYME
  • 「paper paper paper」 Bron K feat.NORIKIYO
  • 「トモダチ」 ケツメイシ
  • 「All day」 舐達磨
  • 「Bling-Bang-Bang-Born」 Creepy Nuts
  • 「*(アスタリスク)」 ORANGE RANGE
  • 「春夏秋冬」 Steady&Co.
  • 「Touch the sky」 ZEEBRA
  • 「BATTLE FUNKASTIC」 RIP SLYME.布袋寅泰
  • 「風」 湘南乃風
  • 「よる☆かぜ」 ケツメイシ
  • 「TOKYO LV」スケボーキング
  • 「土砂降りでも remix」 般若feat.benjazzy.maccho
  • 「My place」 THC!!!
  • 「ウワサの真相」 RHYMESTER feat.F.O.H
  • 「遠く」 Asian 2
  • 「メロディーライン」 ファンキーモンキーベイビーズ
  • 「一網打尽」 韻踏合組合 feat.NORIKIYO.SHINGO☆西成.漢
  • 「ロイヤルストレートフラッシュ」 RHYMESTER
  • 「この世界の裏側へ」 Mr.smile
  • 「MONKEY 4」 餓鬼レンジャー
  • 「no pain no gain」ZEEBRA feat.maccho
  • 「マイクロフォンのテーマ」 KICK THE CAN CREW feat.MEGUMI MASHIRO
  • 「エルニーニョ」 KICK THE CAN CREW
  • 「Mob SQUAT」Dragon Ash.麻波25.SOURCE
  • 「911」 キングギドラ
  • 「Soul dier」 OZROSAURUS feat.SORASANZEN
  • 「ゴールデンマイク remix」 ZEEBRA feat.AI.童子-T.般若
  • 「ブリズナーno.1.2.3」 RHYMESTER
  • 「DA.YO.NE」 EAST END×YURI
  • 「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」 NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
  • 「No chain」 DJマスターキー feat.Hi-Timez
  • 「マタアイマショウ」 シーモ
  • 「オアシス」 BENNIE K feat.Diggy-mo
  • 「輪舞曲」 SOULD' OUT
  • 「大きな子供」 夜光虫
  • 「花火」 RIP SLYME
  • 「もっと」 ケツメイシ
  • 「夕日」 ケツメイシ
  • 「CLUBへ」 ケツメイシ
  • 「新生活」 ケツメイシ
  • 「Asian Doll」 BAD HOP
  • 「おぼえてない」 RHYMESTER
  • 「ラブぃ」 リップスライムとくるり
  • 「冬物語」 ケツメイシ
  • 「one for the what? two for the who? Part2」 KICK THE CAN CREW
  • 「アンバランス」 KICK THE CAN CREW
  • 「By the Way」 RIP SLYME
  • 「BlUE BE-BOP」 RIP SLYME
  • 「UNSTOPBALL」 キングギドラ
  • 「ずっと」 SPYCY CHOCLATE feat.Hun-Kun&TEE
  • 「LIVE09」 NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
  • 「いつもいつでも」 HOME MADE家族
  • 「sayonara sayonara」 KICK THE CAN CREW
  • 「幸せをありがとう」 ケツメイシ
  • 「B BOYイズム」 RHYMESTER
  • 「SONS OF THE SUN」 麻波25
  • 「GROW UP MIND」RYKEY × BADSAIKUSH feat.漢
  • 「Perfect Queen」 ZEEBRA
  • 「道しるべ」 ORANGE RANGE
  • 「晴伝説」 湘南之風
  • 「?WHATCHANAME?」 KICK THE CAN CREW
  • 「STEP IN THE DAY」 KICK THE CAN CREW
  • 「3MCs+1DJ」 KICK THE CAN CREW
  • 「LifeStash」 舐達磨
  • 「GOOD DAY」 舐達磨
  • 「100MILLIONS」 舐達磨
  • 「Living In A Crisis」 BCST
  • 「BUDS MONTAGE」 舐達磨
  • 「High Land」 BAD HOP
  • 「ア・セッションプリーズ」 ケツメイシ feat.アルファ
  • 「Only Holy Story」 Steady&Co.
  • 「雨」 ケツメイシ
  • 「Let yourself go,Let myself go」 Dragon Ash
  • 「Sunset Beach」 Dragon Ash
  • 「PARTYOVER」 KICK THE CAN CREW
  • 「ONE FOR THE WHAT,TWO FOR THE WHO.PART3」 KICK THE CAN CREW
  • 「LIFELINE」 KICK THE CAN CREW
  • 「C'MON EVERYBODY(Remix) feat.INNOSENCE」KICK THE CAN CREW
  • 「magic number」 KICK THE CAN CREW
  • 「黄金のカルテット feat.SOUL SCREAM」 麻波25
  • 「コードナンバー0117」 キングギドラ
  • 「リアルにやる」 キングギドラ
  • 「ジャッジメント feat.BLACK BOTTOM BRASS BAND&KYON」 RIP SLYME
  • 「TINE TO GO」 RIP SLYME
  • 「Puppy Love feat.GIPPER」 BENNIE K
  • 「I See U」 OZROSAURUS
  • 「手紙 過去〜」 ケツメイシ
  • 「真実の爆弾」 キングギドラ
  • 「FLOATIN'」 舐達磨
  • 「THE Phoenix」 OZROSAURUS
  • 「Stay Gold」 Steady&Co.
  • 「My Friends Anthem」 Dragon Ash
  • 「風まかせ」 Steady&Co.
  • 「0%」 OZROSAURUS
  • 「Chambers」 Steady&Co.
  • 「Bring it」 Dragon Ash
  • 「Aim High」 Dragon Ash
  • 「Down by Law」 KICK THE CAN CREW feat.CRAZY-A
  • 「タカオニ2000」 KICK THE CAN CREW
  • 「21st Century Riot」 Dragon Ash
  • 「Bring It」 Dragon Ash
  • 「見回そう」 キングギドラ
  • 「Communication」 Dragon Ash
  • 「カンケリ02」 KICK THE CAN CREW
  • 「Viva la revolution」 Dragon Ash
  • 「united rivers」 KICK THE CAN CREW
  • 「カンケリ」 KICK THE CAN CREW
  • 「DJDJ(for RADIO)」 KICK THE CAN CREW
  • 「ミドリノホシ feat. MIE」 麻波25
  • 「Juice」 くるりとRIP SLYME
  • 「運命共同体」 RIP SLYME
  • 「マラドーナ」 韻踏合組合
  • 「バンザイ」 RIP SLYME
  • 「Case1.STAND PLAY」 RIP SLYME
  • 「STRANGE(ALUBUM Version」」 RIP SLYME
  • 「Joy Trip」 BENNIE K
  • 「東京」 ケツメイシ
  • 「そろい踏み」 韻踏合組合
  • 「ROLLING ROLL UP」 OZROSAURUS
  • 「Save the flavor part3」 Otokaze feat.心乃助
  • 「こんばんは」 MC☆ニガリ a.k.a 赤い稲妻
  • 「謝謝」 ORANGE RANGE


日本のヒップホップの歴史「第1記」に生まれた名曲(クラシック)の一覧は、別記「日本のヒップホップの歴史「第1記」に生まれた名曲(クラシック)一覧」のリンクを参照

 楽曲が制作されるうえでの日本とアメリカの文化、社会的背景の違い [編集]

特に、日本のヒップホップのアーティストの多くは早い段階で、アメリカでのヒップホップの発祥に着眼するなど、クリエイティブな世界の中で、向けるべき視点の方向性への理解が早かった。特に多くの日本のヒップホップアーティストは、アメリカでは2大ギャングが存在していて、両グループ10,000人を超えるメンバーをかかえ、それ自体が強大な組織として出来上がっている。ヒップホップというのは、そのアメリカのギャングが初めた文化であるといった理解が比較的業界の向けるベクトルの一致が早かった。そこで、特に皆恐らく思ったのは、日本という国ではそういった世界というのは、アメリカに比べると比重がとてもマイノリティの人数や規模に該当してくる。自分達が制作できるリアルヒップホップというものはつまり何なのか?こういった疑問点や視点は比較的アーティスト内で一致していた。特に英語で曲の歌詞を書く時は直接的な文章で書くが、日本語の歌詞というものは、言いたい事を中心にして、つまり空洞にして、つまりドーナツ型の中心部分をモチーフにして、その周りの語句を歌詞にしていく事によって、敢えて空洞になって歌詞としては表現されていないそれ自体を見えない世界の中で表現する。こういった制作過程は日本のクリエイターの多くは既にわきまえていた。つまり「寒い」という事を歌詞で伝えたい時に、直接的に「寒い」と歌詞に書いても、特に伝わらないのだ。「寒い」という事を伝えたいのであれば、たとえば「しんしんと降り積もる雪」や、「季節は12月」や、「しもやけ」という語句を使う等、こういった形をモチーフを敢えて空洞にする事によって、それ自体を伝えていた。つまり、こういった事は日本のアーティストは無意識の領域であっても皆やっていた。ここで言う「アメリカの社会問題」と「日本の社会問題」というのは、恐らく違っていて、アメリカのように目に見えない形。まともにそれ自体が見えない事が恐らく日本の社会問題であった。つまり、この時代の日本の社会というものは人類が作り出した歴史上最大級の「虚像社会」であるという点だった。つまり、右にいる人が自分の敵なのか、味方なのか。左にいる人は自分の事を大切に思ってる人なのか、そうではないのか。自分は何をしようとしているのか。こういった事が社会が時代と共に発展に発展を重ね、もはや自分自身が分からなくなってしまっている、歴史的に見ても危険な状態である事はもはや間違いなく、そういった時代背景の中で、日本語の歌詞というのはいわば「直接的に表現しても、それ自体とてつもなく強いものでない限り、それ自体が本当なのか嘘なのか判別が付かない」、こういった状態であった。

つまり、この時代日本の音楽というのは狐に包まれたような最大級の「虚像社会」の中で「本当」を歌えるアーティストが恐らく、国民に称えられ、人に夢や希望、つまり真実的にその人の為になることであった。

日本のヒップホップアーティストの成り上がり方(全国へ名前を売る)の時代的な変遷 [編集]

ここは特に、日本でヒップホップが始まった当初、公に明かされている内容としてはまだ確固たるものは、ないが、一般的にはRHYMESTERのメンバー宇多丸が大きなブラウンを持っていたのでは、と考えられる事は多い。特に、楽曲「ひとり」が国中に大ヒットをもたらせた音楽グループ「ゴスペラーズ」のデビューしたきっかけを作ったのはRHYMESTERのメンバー宇多丸である事は有名な話である。特に、この時代日本の多ジャンルを加える、と有名になるアーティストの成り上がり方は一般的にはおおよそ大きく分けて2つに分類されていて「1.オーディションに合格する」「2.LIVE活動等を行い、そこにたまたまいるメジャーレーベル(SONY、ポニーキャニオン、avex等)の発掘係として活動している人物に認められ、その人物を通してデビューをする」。一般的に思われていたのはこの2つであった。そんな中、恐らく皆確証はなかったが、日本のヒップホップの歴史の中で恐らく最も重要なクラブイベントの一つになった「FGナイト」。このイベントには特に結成前だったグループもあるが、メンバーとして、EAST END、MELLOW YELLOW、RHYMESTER、KICK THE CAN CREW、RIP SLYME。このグループのメンバー全員がこのイベントに出入りをしていた。KICK THE CAN CREWのKREVAがその後、B-BOY PARKのMCバトルで三連覇を果たし、日本のヒップホップの業界の中でMCバトル日本一はKREVA。こういった事は数年大きく日本中に認知された。それから、何年か経ち、今では恐らく日本一のフリースタイルMCバトルの大会になっているUMB(アルティメットMC)バトルが発足する。このUMB(アルティメットMC)でCreepy NutsのメンバーR指定が日本全国規模に膨れ上がったこの大会で三連覇を成し遂げ、この辺りからフリースタイルMCバトル日本一の座は、恐らく皆KREVAではなく、R指定に移ったと認知された。ただ、ここでいうこのKREVAのフリースタイルMCバトル日本一とR指定のフリースタイルMCバトル日本一のニュアンスは大きく異なった。KREVAに関して言うと、MCバトルで名前が売れた訳ではなく、自分はもう既に楽曲をリリースできる、発売できるプロのアーティストであるそのハクとして隣に日本一のMCバトル勝者。こういった形で、MCバトルチャンピオンのハクを使っていた。一方、R指定に関しては完全に全くの無名から、MCバトルのみで日本全国に名を知らしめ、全国的に有名になり、それによりデビューの座を勝ち取ったような話だ。つまり、R指定に関して言うと、完全に素手で1から全てを勝ち取ったようなものであった。故に、真実的な絵で話すと、R指定自身まず、素手で、フリースタイル一本で日本の頂点に3年連続で勝ち上がる、もうここで完全にヘトヘトなはずである。さぁ、それでデビューが決まった。今から曲を作って、売って有名になってと、もはやR指定自身も1人の人間であるのだ、ともはや業界全体からしても合いの手を入れたい位であった。そこで、R指定の楽曲にクオリティに対する批判が、各方面から相次いだ。しかし、R指定もDJ松永とCreepy Nutsというグループを3連覇の後結成し、楽曲のクオリティが少しずつ上がり始める。楽曲「のびしろ」辺りからそうそう形になり始め、楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」の大ヒットを記録する。特にクリエイティブな世界の基本線からすると「新しいものというのは何も存在しない。常に新しいものが生まれたと思っても、それは必ず過去にあったもの」。こういった世界をいろはのいで考えると、新しい作品を作ろうとして、新しいものが閃いたとしても、それは必ず自分の中にあるそれは何かでどこがで自分が感動した何かが浮かびあがって、閃いて形になった。こういった世界観はもう既に理解するリスナーも多い程リスナーを含めた日本の音楽レベルは上がっている。楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」のパンチラインになった「鏡よ鏡答えちゃってwho the best.who the一番上」。恐らくこれは、高校生ラップ選手権で、この1Verseのみで全国に名前を知らしめ、一気に日本のトップアーティストまでかけあがったKTちゃんvs長瀬の名勝負のKTちゃんが言い放った「魔法の鏡。どっちが可愛いかなぁ。」。恐らく発想の後ろ盾になるリファレンスがここから来ていて、「Bling-Bang-Bang-Bling-Bang-Bang-Bling-Bang-Bang-Born」。これはこの楽曲がリリースされた当時世界中を風靡していたアーティスト「ル・セラフィム」の 「boom boom boom」がリファレンスになっている事は、リスナーにも分かる位であったが、それさえ全て合算して、楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」は完全に名曲だった。この後ろ楯にあるリファレンスの目に見えない世界での許可さえ取れれば、この楽曲は更に恐ろしい程発展する。かつ道は逆にそこしかなく、向けるベクトルはそこであると言われている。

日本の音楽業界における「ジャンル分け」という概念と本質[編集]

特に、当初から日本のヒップホップ発祥初期から、アーティストグループ内で「日本全体のヒップホップを盛り上げよう」。つまり、自分達のグループ一つしか売れない、有名になるという形ではなく、周りのアーティスト全体で共に上がっていく。こういった思想が、特に強かった。特にRHYMESTERを中心として、皆が一斉にデビューが決まっていった流れや、RHYMESTERのメンバーMummy-Dが別名義、Mr Drunkという名前にて、多くのアーティストのプロデュースや制作、レコーディング等も行っていた。EAST END×YURIの楽曲「DA.YO.NE」の作詞や、RIP SLYMEの楽曲のレコーディングエンジニア等も手掛けたりしていた。日本のヒップホップの業界全体で、この流れは強く、Dragon Ashの知名度が全国区になった後、RIP SLYMEがワンマンライブに付いて回ったり、客演参加でキングギドラのメンバーZEEBRAに依頼を掛けたり、ラッパ我リヤに依頼をかける等、この流れは続いた。特に日本のヒップホップの業界全体で特に「日本のヒップホップを盛り上げよう」という趣が強かった。そんな中、特にアンダーグラウンドなフィールドに位置していた日本のヒップホップアーティストも多数存在したが、日本の一般のリスナーが、アンダーグラウンドなテイストの日本のヒップホップアーティストの楽曲を理解できるようになるのに時間を要する事は安易に予想された。つまり、当時J POPで流れていたオリコンチャートの楽曲とは曲のテイストや意図、作り方等が大きく異なるニュアンスを持つものであったからだ。ただ、やる側の人間。つまり製作者側、アーティスト側は皆理解していた。特にNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの楽曲と当時の日本のオリコンチャートに位置する楽曲のテイストが違い過ぎてこの落差を埋めれる程の理解を与えれる程のアーティストはまだ日本に存在しなかった。「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」って何が凄いの?と一般リスナーに聞かれたとしたら、アーティスト側も「やってみたら分かるよ」とこういった言い方で伝えるのが精一杯であった。そんな中、この「ジャンル分け」という概念が恐らくこの日本の当時の音楽業界ではかなり今までの世界の音楽業界での歴史の中でも異質な使われ方をした。つまり、たとえば初期のケツメイシ等考えると、特にヒップホップであった。メンバー全員も特に洋楽ヒップホップから影響を受け、そのようなサウンドとテイストで曲を作り、名曲を制作、リリースを連発していた。特に洋楽ヒップホップと言っても、ギャングスタラップが全てではなかったし、ギャングスタラップに影響を受け日常の出来事をラップするラッパーも存在したし、ギャングスタラップに影響を受けたチカーノの文化もおおよそ、一般的な内容やテイストをラップしていた。そしてかつ彼らはジャンルとしては確実にヒップホップとして捉えられていた。そのような形でケツメイシの初期は恐らく完全にヒップホップであったが、ケツメイシのメンバー全員が「自分達の音楽はヒップホップである」と主張する事を行わなかった。それはケツメイシのメンバーも、つまり、アンダーグラウンドな日本のヒップホップアーティストの楽曲から大きく影響を受け、特にメンバーのRyoなどはキングギドラやMICROPHONE PAGER等に対するリスペクトがとても大きかった。こういったニュアンスを持って、つまりやる側の人間は皆それ自体の持つ真実的な「レベル」に気付くが、ここに皆まだリスナーが付いてくれる段階ではない。こういった動きをするアーティストもその後も多く現れた。たとえば、アーティスト湘南乃風などは、恐らくケツメイシから大きな影響を受け、かつケツメイシ以前の日本のヒップホップ恐らくメンバーは聞き込んでいると予想されるが、湘南乃風は自分達はレゲエである。と主張し、音楽活動を行い、楽曲を制作し、発売していった。この時日本の多くのリスナー、特に一般リスナーが思った「ヒップホップ」と「レゲエ」の違いって何?ケツメイシってヒップホップじゃないの?このような特に多くの人が思った。特にケツメイシの楽曲「太陽」などの音の作り方、ピアノの和音を一定に連打するトラックの作り方等、こういったテイストはレゲエに近かったが、誰も確証を持ってここはこうなんだ、と説明できる人物は現れなかった。こういったものの背景にあったのは、この日本のヒップホップの業界全体が、実力のあるアーティスト全員で上がろう、日本のヒップホップを盛り上げよう。こういった思想が後ろ盾にあったものだと思われる。またORANGE RANGE等も、楽曲「花」で年間オリコンチャート1位を獲得した際の、インタビューで「自分達は必ず天狗になってはいけない」等の内容を話している。こういった動きが日本の音楽ジャンルで言うと、この日本のヒップホップの業界は特に強くこの思想は存在した。RHYMESTERの名曲「ザ・グレート・アマチュアリズム」の楽曲にて、宇多丸がある程度定義しようとして内容はざっくりと「韻さえ踏んでいたらヒップホップで良いのではないか」等の内容であった。特にこの時期、地上波のテレビ番組「ASAYAN」の全盛期であった。この「ASAYAN」という番組は、オーディションを行うのだ。つまり、オーディションに合格した人に音楽のデビューを決定させるという内容で、この番組をきっかけに「モーニング娘。」や、「CHEMISTRY」もデビューしている。特に「CHEMISTRY」のオーディションを受けた総数の人数は2万人近くいたと言われ、CHEMISTRYの2人は2万人の中から勝ち上がった2人という事になる。つまり、この時期日本では、「音楽をする」「CDを出す」という事がとても敷居の高いものであるように感じられていた。それを宇多丸が、どんな人であったって歌が下手だって、格好良くなかったって、韻さえ踏んでいればヒップホップ。一緒にヒップホップやろうぜとのようなテイストでこの時期に訴えかけたような時期であった。実際この時期にヒップホップを始めたアーティストは数としては相当存在する事が予想される。そういった流れを持って生まれたこのジャンル分けという概念は、恐らく後10年、20年と時が経っていけば、全てヒップホップだと定義されていくである事が予想される。1999年に日本の男性アイドルグループを輩出するに当たってはトップの事務所であったジャニーズ事務所から男性アイドルグループ嵐がデビュー曲「A.RA.SHI」をリリースした。この楽曲は日本中を風靡するような大ヒットソングになり、この楽曲を通して、音楽を初めた人、音楽を好きになった人、音楽業界に興味を持った人、夢を持った人、アイドルを目指した人、アイドルに憧れた人、多くの人が、日本中がこの楽曲に大きな影響を受けた。この楽曲をきっかけに音楽が好きになり、後にヒップホップを知り、ヒップホップアーティストになったような人も大多数存在する事が予想される。しかし、これだけの大ブームを起こしたこの楽曲は実態は、とても危険なものだった。やってはいけないレベルのステージであった。つまり、真実的な絵で話すと、まだ小学生である子供5人を1億2,000万人が見るステージに堂々と上げ、この5人が自分達のステージを見て下さい。自分達はこのステージが認められなければ死にます。この位のレベルのものだった。こんな事はしてはいけないレベルのものだった。しかし、これを見た多くの日本人が命懸けで彼らを救おうと試みた。本来このような行ってはいけないものであるとして、それではジャニーズ事務所が悪かったのか。ジャニー喜多川社長が悪かった。恐らくどちらも違って、恐らくこの時代の社会が悪かったとある程度確証される。この楽曲によって嵐というグループは一気に日本の音楽業界の頂点近くまで駆け上がり、日本を代表するアーティスト、アイドル、俳優、タレントになった。そして、この嵐の5人に関して言うとこのデビュー曲以降の彼らの動きと行いが誰の目から見ても完璧であった。あの手、この手を使いこの5人はデビューした当時自分達を救ってくれたような、直接は出会っていないとてつもなく多くの人数の人々に対して、目に見えない世界の中で、恐らく彼らはこの20年程で全てを返し終わっている。よって、この20年の時を経て、この楽曲が日本のヒップホップの歴史「第1記」に生まれた名曲(クラシック)に入る。

日本におけるサンプリング文化の普及と、時代的背景に見合わせた独自の価値観と視点 [編集]

nobody knows+というアーティストはDJ MITSUによって集められた5人のMCとDJ MITSUによって編成されるグループであった。つまり、トラックをDJ MITSU1人が担当していた。ただ、DJ MITSUに関して言うと、ヒップホップで言うとトラックメーカーといったような立ち位置ではもはやなく、日本の一流音楽プロデューサーといったようなそんな立ち位置として存在するような音楽アーティストであった。つまり、ヒップホップとは発祥元来、サンプリングという文化を用いて、つまり、過去にあった名曲などの4小節、つまり5〜10秒程の音を抜き取り、そこに独自でいわば、ドラムやスネア、スクラッチなどの音を加え1つの音のループ素材4小節、つまり5〜10秒程の音を作る。そして、それをひたすら基本的にはずっと繰り返す。その音の上にラップをしていく。いわゆるHOOKと言われる曲で言う所のサビに当たる部分のみ、音に加え方を変えたり、半音上げたり、下げたりしてアクセント、少し変化を加えるなどする。こういった曲の作り方がアメリカのヒップホップの発祥であった。しかし、これは時代的、文化的な背景と照らし合わせると、当時お金のなかった、楽器を演奏する為の技術を付ける為の練習する、又は楽器を買うなどの発想とは程遠い世界にいた人物達によってヒップホップは立ち上げられたような歴史的背景があった。ただ、このサンプリングという楽曲の作り方の手法はその後も継承され、今も継承されている。このグループnobody knows+のDJ MITSUでいったら普通、一般のこの時代この国を生きる一流の音楽アーティストである。つまり、サンプリングという楽曲制作の仕方ではなく、いわゆる1から音を全て演奏して、つまりドレミファソラシドから楽器全てを用いてトラック、バックの音を作る、いわゆる作曲家である。つまり、こういった技術を持った、つまりJ POPを作る一般の音楽プロデューサーと対等、もしくは更に上のレベルの話ができる音楽アーティストであるのだ。更に、その中でも彼のトラックの音楽はヒップホップの要素にジャズを加えたいわゆる超一流の音楽を作り上げる作曲家である。つまり、このDJ MITSUからすると、このサンプリングという手法でトラックを作る、音を作るというのが一言で言うと、簡単すぎるのだ。自分が今学んできた、作り上げた作曲方式の手法や、道のりのいわば30分の1以下の力で、サンプリングという手法では曲は作れてしまう。特に、この数字と割合おおよそ見込まれるという話になるが。つまり、特に当時のJ POPというのは、この時代の日本人の耳で好きな音とコード進行というのは、おおよそ決まっていた。つまりコード進行の王道と呼ばれるものだ。

1.F→G→Am→C 2.F→G→Am→Am 3.Cmaj7→D7→Bm→G 4.C→Bm7→Am→G→F→Em→F→G

おおよそこの位のものだった。つまり、このようなコード進行を使い、後は半音上げ下げ、つまり、高さを上げたり下げたりする。つまり

1.F→G→Am→C

これを1音上げるのであれば

F→G G→A Am→Bm C→D

そして G→A→Bm→D

という進行ができる。これがコード進行1を1音上げたである。つまりこのコード進行の上に、ふんふんいいながらであったり、とてつもなく細かく作られたメロディーラインも存在するが、まあこの上にメロディーを乗せればこの時代の日本人が好きな音色、曲というのは作れるのだ。かつ日本のオリコンチャートトップ10の内9作品程はこれらのコード進行のみで成り立っているといっても大袈裟でない位のものだった。こういった話という音楽を作る音楽プロデューサーの中ではいろはのいであるような話であった。特にDJ MITSUというアーティストはこういう世界にいる人間だった。そういったニュアンスをSOLD' OUTというアーティストも同じく持っていた。しかし、人間は神ではない為、真実的なレベルを見つけるという意味で考えると、人間は今目の前にある「できる事をする」。これが全ての正解であると考えると「できる事をする」、これを1つ1つ積み重ねていった結果、知らない間に「あ。できるようになってる」と今までできなかった事が少しずつできるようになる。どんな音楽を手法を使おうが名曲は名曲であり、そこに楽曲の真実的なレベルは存在し、それら全てを考えると、これら全てを含めてジャパニーズヒップホップではないのだろうかと考えられている。

日本のヒップホップの歴史「第1記」に生まれた有名なパンチライン [編集]

恐らく認知で言うとKICK THE CAN CREWの楽曲「LIFELINE」でのKREVAの名フレーズ「一生懸命を恥ずかしがるな」これが、上がってくると思われるが、とてつもなく強い1文によって時代を描写した楽曲、ケツメイシが歌った「トモダチ」の歌詞から「選んだりRandomされた人生」。この辺りも歌詞を書くうえでは傑作の部類に入る名文であった。しかし、恐らく1990年から2025年。この35年間で日本で生まれたヒップホップの楽曲の中のパンチラインとしてのトップは楽曲「I say yeah」、アーティストがRHYMESTER、HOME MADE家族、マボロシ、PUSHIM.MAY J。この楽曲でRHYMESTERの宇多丸が叩いたこの一言「世界の銃声も消すボリュームで」。恐らくこの一言が、この日本のヒップホップ35年の歴史全てを物語るパンチラインとしてはトップであると考えられている。

日本のヒップホップの歴史「第1記」の終わり [編集]

このような流れを経て日本のヒップホップはアメリカのヒップホップを超えたと思われている。アメリカのヒップホップは「血が飛び交うようなギャングの抗争、戦いをヒップホップ、ラップの戦いに変換する事によって、目に見えるものであった戦いを幾度と抑える事に成功した」のであったとしたら、日本のヒップホップは「今まで存在していたと思っていた戦いの全てはメディアが作り出した虚像の一つであって、初めからそこには何もなかったんだ」。この1文によって、日本のヒップホップの歴史「第1記」は終わる。