我田引鉄

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我田引鉄 (がでんいんてつ) とは、鉄道路線を誘致する行為のことである。政治的な思惑で路線や駅を誘致することを指す事が多い。

概要[編集]

元々は、物事を自分に都合のいいように言ったり、したりすることを意味する「我田引水」(がでんいんすい) という四字熟語が由来となっており、こちらは自分の田んぼに水を引くことが由来になっているのに対し、我田引鉄は自分の田んぼ(というより地元)に鉄道を誘致することが由来になっている。

我田引鉄の中でも、政治的な思惑で誘致された駅のことを政治駅 (せいじえき) という直感的にわかりやすい呼び方をする。

我田引鉄の例[編集]

  • 大船渡線 陸中門崎千厩間(鍋弦線) - この付近は国道が直線的に結んでいるのに対し鉄道が大きく北に回っている。これは北に回っている区間にある摺沢地区から立候補した佐藤良平が1920年の総選挙で当選し、彼が摺沢に鉄道を誘致して陸前高田にに直進予定だったのが、その後千厩に経路が揺り戻された結果、今のような線形になった。
  • 上越線 高崎渋川間 - この区間は当初は高崎から直進して金古を経由予定だったが、前橋市からの要望で、開業前は無かった新前橋分岐で、計画より東寄りを北上するルートになった。
  • 山陰本線 滝部特牛間 - この区間は当初は日本海沿いに線路を敷設するつもりだったが、地域の要望によって丘陵地帯を通るルートに変更された。
  • 予讃線 伊予和気松山間 - この区間は当初は直線的に結ぶ予定だったが、当時の三津浜町民が三津浜停車場を設置することを要望し、鉄道大臣と直談判するほどの陳情活動を繰り広げた。その結果丘陵地帯を通りかつ遠回りになるルートになった。

我田引鉄のように見えるがそうではない例[編集]

  • 中央本線 岡谷塩尻旧線大八廻り) - この区間は辰野駅伊那谷)方面へ大きく南下してから塩尻駅方面へ北上するルートを通っている。このルートになったのは伊那谷地域選出の有力議員で、鉄道局長である伊藤大八が関わったからと言い伝えられているが、実際には現在の塩嶺トンネルのような長大トンネルをつくる技術がない時代に、天竜川と支流の横川川沿いに緩勾配で敷設したことが原因とされる。
  • 中央本線 甲斐大和石和温泉間 - この区間は大きく北に回っている。これは地元が甲州市塩山地域の実業家で、中央本線の開通に精力を傾けた雨宮敬次郎が関わっていると言われることもあるが、実際には直線的に結ぶと急勾配が生まれることが原因である。
  • 木次線 加茂中木次間 - この区間は大きく東に回り出雲大東駅を経由している。元々、この区間は私鉄の斐上鉄道が建設した区間で大原郡の中心であった大東が人口集積地であり、集客面で優位だったことが要因である。
  • 久大本線 野矢湯平間 - この区間は大きく東に回り由布院駅を経由している。これには地域の要望も政治的な理由もなく、単純に急勾配を避けるために大回りしているだけである。なお、これでも26‰の急勾配になっており、地形の険しさがわかる。

関連項目[編集]