四国新幹線

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四国新幹線は、現在構想されている新幹線路線。具体的な建設は始まっていない。

概要[編集]

四国新幹線とは、日本の四国地方を新幹線規格で結ぶ構想・計画の総称である。現在までに路線は建設・開業されておらず、国の整備新幹線計画にも正式路線としては採用されていないが、戦後一貫して地域振興や国土構造の観点から議論が続けられてきた。

計画路線[編集]

四国新幹線では、これまでに複数の路線案が構想・検討されてきた。これらはいずれも正式決定されたものではなく、自治体・経済団体・研究機関などが提案してきた構想段階のものである。

岡山・瀬戸大橋ルート[編集]

岡山・瀬戸大橋ルートは、本州側の岡山県を起点とし、瀬戸大橋を経由して四国に至る構想である。四国新幹線構想の中では最も現実的とされる案の一つであり、既存の本州四国連絡橋を活用することが前提とされている。

四国内では高松市を起点に、松山市高知市徳島市などの主要都市を結ぶネットワーク形成が想定されてきた。一方で、瀬戸大橋は新幹線走行を前提に設計されていないため、橋梁の改修や新たな並行ルート建設が必要になる可能性が指摘されている。

淡路島ルート[編集]

淡路島経由ルートは、関西圏から明石海峡大橋淡路島・大鳴門橋を通って徳島県へ至る構想である。関西地方と四国東部を直接結ぶことができる点が特徴で、特に徳島県を中心に検討されてきた。

しかし、長大橋梁の新設・改修が必要となること、建設費が高額になること、他のルートと比べて四国全体への波及効果が限定的であることなどが課題とされ、近年は議論が慎重になっている。

四国横断ルート[編集]

四国横断新幹線構想は、四国島内を東西方向に横断する路線案であり、主に高松市と松山市、あるいは高松市と高知市を結ぶルートが想定されている。

この構想は、四国内の都市間移動の高速化と地域間格差の是正を目的として提案された。山地が多い四国中央部を通過するため、長大トンネルの建設が不可避であり、技術面・費用面での課題が大きいとされている。

歴史的背景[編集]

構想の発端[編集]

四国新幹線構想の原型は、1960年代高度経済成長期にさかのぼる。東海道新幹線の成功を受け、日本各地高速鉄道網の整備構想が検討される中、鉄道輸送で不利な立場にあった四国地方でも、本州と直結する高速鉄道の必要性が指摘されるようになった。当時は本州四国連絡橋の計画と並行して、高速鉄道導入の可能性が議論されていた。

国鉄時代の検討[編集]

日本国有鉄道(国鉄)時代には、全国新幹線鉄道整備法1970年)を背景に、四国を含む全国的な新幹線網の将来構想が描かれた。しかし、四国は人口規模や輸送需要が他地域より小さいと判断され、優先順位は低く位置付けられた。そのため、具体的なルート選定や事業化には至らなかった。

瀬戸大橋開通[編集]

1988年瀬戸大橋開通により、四国は初めて鉄道で本州と直結された。これにより、在来線特急による本州直通輸送が実現し、「新幹線を橋に通す」構想も一部で語られたが、橋梁の構造上、新幹線規格での走行は困難とされた。このことは、四国新幹線構想が具体化しにくい要因の一つとなった。

バブル期[編集]

1980年代後半から1990年代初頭バブル経済期には、大規模公共投資への期待から四国新幹線構想が再び注目された。徳島高松松山高知を結ぶ十字型や、本州から高松・松山へ至る路線案など、複数のルート案が地方自治体や経済団体から提唱された。しかし、バブル崩壊後の財政悪化により、議論は再び沈静化した。

2000年代[編集]

2000年代以降は、人口減少や採算性の問題がより重視されるようになり、フル規格新幹線としての四国新幹線実現は困難視される傾向が強まった。一方で、ミニ新幹線方式や新在直通方式、高速化された在来線の活用など、現実的な代替案を模索する動きも見られるようになった。

地理的課題[編集]

四国新幹線構想には、山地が多く平野部が限られる地形条件、長大トンネル高架の必要性、地震リスクへの対応など、技術的課題が多い。また、本州との接続方法や、既存インフラとの整合性も大きな検討事項とされている。

地域での評価[編集]

四国新幹線は、地域振興や観光活性化を期待する声がある一方で、巨額の建設費や利用者数の見通しに対する懸念も根強い。自治体や経済界の間でも意見は分かれており、四国全体で統一した合意形成には至っていない。