喜多方電化撤去
喜多方電化撤去(きたかたでんかてっきょ)は、磐越西線の会津若松から喜多方までの電化の廃止を行ったことを指す。
事の経緯[編集]
1967年に郡山 - 喜多方間で電化され、電車急行「ばんだい」も運行された磐越西線だが、会津若松駅にスイッチバックが存在することもあり、急行の後身の快速ばんだいは2000年代後半に縮減され、電車列車は1.5往復まで激減。JR東日本は当該区間の電化撤去を決意し、2022年3月のダイヤ改正ですべての電車運用を廃止、2024年5月より正式に非電化路線とした。
車両面・設備面での変化[編集]
1.5往復のみ残っていた電車運用は会津若松で系統分断され、対面乗り換えとなった。また、フルーティアふくしまの乗り入れも全滅した。一方、架線自体の撤去は2024年7月から進めることを発表し、9月時点で一部区間で架線がなくなっていることが確認されている。
電化から架線廃止までの詳細な流れ[編集]
1899年から1904年にかけて開業し、会津や郡山から首都圏に抜けるための重要幹線と位置づけられた磐越西線の郡山 - 喜多方は、1967年6月15日に交流電化された。7月1日に455系電車による急行「ばんだい」の運転が始まる。電化に伴い、明治時代の狭小トンネルだった沼上トンネルは新線に付け替えられた。
1968年9月半ばからは485系による特急やまばとの会津若松発着編成を分離・「会津やまばと」として運転を開始し、10日後「あいづ」に列車名を変更された。
1984年2月には急行ばんだいが廃止・快速に格下げされ、路線自体は国鉄分割民営化後の1987年以降、JR東日本による管轄となった。
1993年には電化開業以来会津若松以東の貨物列車および一部の客車列車に用いていたED77形がED75形に置き換えられ、12月にはあいづが郡山 - 会津若松に短縮のうえでビバあいづに列車名を変更されてしまう。1995年までは会津若松以西に残っていた50系客車が全滅した。1996年には貨物輸送がなくなってしまった。
一方、1998年の豪雨で磐越西線が一部区間不通となったが、電化区間に被害は出なかった。
2002年からはビバあいづがあいづに列車名を戻され、2003年はこのあいづも快速あいづライナーに格下げとなる。2004年にはあいづライナー、ばんだいの列車名が一度なくなった。
2007年にあいづライナーの名称が復活し485系での運転とされたが、会津若松 - 喜多方間は多客期1往復のみの設定となった。2015年にはこちらもまた廃止されてしまう。
2020年に快速あいづが復活した際は喜多方乗り入れが用意されず、2021年8月の喜多方市市議会への説明会でJR東日本側が会津若松 - 喜多方間の架線撤去の方針を表明。そしてついに2022年3月の改正をもってわずかに残っていた電車運用が全てなくなった。設備はその後もしばらく残り、2024年5月17日付で会津若松以西の電化を正式に廃止してから撤去作業に取り掛かっている。
影響・今後[編集]
フルーティアふくしまの引退と後継車[編集]
2023年12月をもって719系改造のフルーティアふくしまは引退するが、その後継にはHB-E300系旧リゾートあすなろ改造のSATONOが投入され、臨時ながら喜多方乗り入れが復活することになった。
直通列車と、残りの区間の処遇[編集]
臨時で直通列車が乗り入れることは電化撤去後も存在するが、郡山発着を含めすべて気動車での運用となる。会津鉄道会津線からも、AIZUマウントエクスプレスの臨時乗り入れも健在である。
一方で、郡山 - 会津若松間ではE721系仙台車が使用されていることから、運用上の都合で郡山の気動車により代替される可能性もあり、一部の利用者から危惧されている一方、平坦な盆地で勾配区間がないことから、EV-E801系を増備し、気動車混用の阻止を期待する向きもある。というかEV-E801系を入れたら只見線の会津坂下に充電設備を設置し、そこまでも運転して良いような…[注 1]。
JR東日本内で追随して電化撤去される区間[編集]
2025年のGW明けに奥羽本線の新庄 - 院内間が追随して、非電化路線として災害から復旧する予定となった。現状では運用と車両の都合で同区間しか撤去できないと考えてよいが、最終的には横手、ひどいと大曲や秋田の狭軌区間まで拡大し変電所ごと削減するシナリオも想定できる。特に小海線の運用合理化で余剰となりうるキハE200形や新潟地区に3ドアのHB-E220系を投入し玉突きで余剰となりうるGV-E400系をこちらに持ってきて、701系ごと一部置き換えるという手法も不可能ではない。