叶恭子
| プロフィール | |
|---|---|
| 別名義 | 小山恭子、杉本エルザ(旧芸名) |
| 愛称 | ココ、恭子さん、お姉さん |
| 生年月日 | 1962年10月7日 |
| 現年齢 | 63歳 |
| 出身地 | 大阪市城東区 |
| 血液型 | O[1] |
| 公称サイズ(2018[2]時点) | |
| 身長 / 体重 | 168 cm / 51 kg |
| BMI | 18.1 |
| スリーサイズ | 98.5 - 56 - 92 cm |
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叶 恭子(かのう きょうこ、1962年10月7日 - )は、日本のセレブリティライフスタイルプロデューサー。叶姉妹の姉役として知られる。本名・小山恭子。
経歴・人物[編集]
1962年10月7日、大阪市城東区に生まれる[1]。父は会社を経営。二人の妹(うち一人は叶晴栄)と二人の弟がいる[3]。
1969年4月1日、大阪市立中浜小学校(城東区中浜)入学。父は妾を何人も持ち、家庭を顧みなかった。京都の親戚や各地の施設に預けられて育つ。孤独だった少女時代、両親には期待せず、頼れるのは自分だけだという価値観を育む[4]。
小学校6年生のとき父の会社が倒産[注釈 1]。10代にして母や妹のいる一家を支えることになる[5]。
1978年4月1日、大阪国際滝井高等学校[注釈 2][注釈 3]入学。3年生在学中[注釈 4]、実業家の男性(子持ちの既婚者)と交際、一回当たり1000万円単位の現金をもらっていたという[6]。1980年、18歳の高校3年生のとき佐藤茂と出会う。当時佐藤は大阪に10軒のノーパン喫茶を経営していた。新たにモデル喫茶を開業すべく、月100万円でウエートレスを募集したところ、恭子が応募してきた。その日のうちに関係を持つ(『シーザーの憂鬱』)[5]。先述の実業家の男性と佐藤が同一人物であるかは不明。
高校卒業の前後、両親が離婚[7]。上京してモデル活動を開始[8][注釈 5]。個人事務所と輸入会社を設立する。キャリアの初期には、杉本 エルザの芸名で活動しており、1984年9月号『平凡パンチ別冊』(平凡出版)にてセミヌード・グラビアを披露している[9]。なお、会社を設立した動機は、なぜそんな暮らしができるのかと第三者に聞かれたときに不自然な答えをしなくて済むようにするため[10]。
1984年2月9日、赤坂プリンスホテルで行われた[3]スーパーギャル84コンテストに出場。全国2万人の応募の中から20人の最終選考に残る。この時のサイズは身長167、上から88-58-88だが、週刊文春記者の見立てではAカップ[11]。いったい何があったのか。この頃は大阪市の市営住宅に住んでいた。収入基準があるから金持ちは住んでいないはず(団地住人による)[3]。祖母と一緒に住んでおり、他の兄弟姉妹は別にアパートを借りていたようだ[8]。
バブル絶頂期(1990年頃か)、ある人物からアメリカの大富豪とのお見合い結婚をすすめられ、パリ郊外の古城で異様なセックスショーを演じた。一晩のショーの報酬として大富豪に10億円を要求した[12]。
1998年より叶美香・叶晴栄とともに叶三姉妹として活動(のちに晴栄は脱退、叶姉妹となる)。なお、1989年頃から[注釈 6]叶姉妹を知る人物によると、強力な支援者(著名な財界人も含む)が何人かいたが、そのうちの2・3人が高齢ということもあり死去した。そのタイミングで『25ans』に出るようになった。その人は「有り余るカネがあるのならメディアに出る必要はない」とも述べる(1999年の『週刊ポスト』の報道による)[13]。
2000年4月、17年にわたって彼女と内縁の関係にあったと自称する佐藤茂が『シーザーの憂鬱』というタイトルで暴露本を出した。のちに叶恭子側が名誉毀損を理由に出版差し止めを請求をしたが最終的には帯の叶恭子の写真を外すことで決着した[14]。この年の公称で身長168センチ、上から96-56-90[5]。
佐藤茂と別れてからの詳しい消息は不明。
2005年、中村うさぎがデリヘル嬢として性風俗店に勤務した体験記を『新潮45』に掲載した。この際使用した源氏名が「叶恭子」だったと記載されていたことに対し、『新潮45』編集長宛に「名誉棄損とパブリシティーの侵害」として内容証明を送り抗議する[15]。
人物・エピソード[編集]
- 大の昆虫好きで、本屋へ行くとあらゆる昆虫図鑑を購入している[16]。特にアリが好きで、大きな黒いアリをアントクアリウムで「エリザベス」「アンソニー」など1匹ごとに名前を付けて飼っていたこともあったが[16][17]、共食いをするため、自然に返すよう美香に頼んだ(東京ではダメということで、美香は富士山麓まで車で行って放した)[17]。猫(ベンガル)を飼っており、溺愛している。ただし、殆どの世話は美香に任せている。
- アンダーヘアーは永久脱毛しており、その箇所には蝶の入れ墨が施されている[18]。入れ墨は他に、左手の平に「叶」の一文字、右手首に「The world is yours」の文と拳銃のモチーフ、足の甲には恭子自らが下絵を描いた白虎の姿が彫られている。
- 自身の取り巻きである男性のことを「メンズ」と呼んでいる。その中でも特別に容姿端麗な男性の事を「グッド・ルッキング・ガイ」と呼んでいる。彼らのほとんどは恭子の好みにより、20代前半の黄色人種以外の男性[19]で世界的に活躍するスーパーモデルが多いという[20]。メンバーはよく変わる[21]。
疑惑[編集]
この節、本人著書その他絶版になっていない出版物から得た情報に従って執筆。絶版になっていないということは、本人または関係者が出版禁止の仮処分の申請などの具体的な行動を起こしていないことを意味する。
- 叶恭子はある年、ミス日本の次点・「ミス・ビューティーエリート」に選ばれるが、本選の後「見直し当選」でミス日本に選ばれた[注釈 7]。後で知ったのだが、和田静郎所長の一存でミス日本の選定は何とでもなる[22]
- 和田静郎の娘で和田研究所所長の和田優子[注釈 8]は『週刊ポスト』の取材に対し「そんな見直し当選の話は事実無根」とコメント。和田静郎の一存で操作できる、あるいはミス日本の興行権を叶恭子に売却しようと持ち掛けた[23]というのは全くの出鱈目だという[24]。なお、ミス日本事務局によると、恭子は1985年のミス日本ファイナリスト。この年は本選まで残った45人全員に「ミス日本ビューティーエリート」の賞状を授与している[25][注釈 9]。1999年7月1日放送の『見ればなっとく!』(TBS)に出演した恭子は「(ミス日本に)なっておりますよ。なってるとかなっていないとかいうことは、私にとってまったく、プランクトンのような小さなこと」と迷言を残している[25]。
- 1987年末、叶美香がミス日本グランプリを受賞し、その後詳細な時期不明なれど恭子と異母姉妹であると名乗り出た[26]。
- ある年小学校の遠足に、お弁当の替わりに吉兆の三段重を持たされ、運転手付きのリンカーン・コンチネンタルで行ったことがある。恭子が「電車でごそごそ行くのなんて嫌だ」とごねたら父が手配してくれた[27]
- アカデミー賞のレセプションに日本人が招待されるのは非常にまれな事例(『25ans』1998年12月号による)
- アカデミー賞に出席したことのある映画関係者によると、主催団体の会員の伝手で意外と簡単に出席できる。招待状を受け取っても行かない人から招待状を買うことも可能。それを仲介する業者もある[29]
- Miss Asia Pacific(現・Miss Asia Pacific International)は、世界四大ミスコンテスト(Wikipedia)の一つである
- これは肯定も否定もできない。2025年現在、世界四大ミスコンテストといえばミス・ワールド、ミス・ユニバース、ミス・インターナショナル、ミス・アースである。このうちミス・アースを除いた三者を世界三大ミスコンテストと呼ぶこともある。1998年頃、Miss Asia Pacific の日本代表を選出する大会は、美香が会長、恭子が特別審査員を務めていた。1998年度の国内大会のプログラムには「世界の4大ビューティーコンテストの一つとして国際的評価を受け…」と誇らしげに書いてある[29]。ミス・アースの第1回世界大会が開催されたのは2001年のことであるが、それより古い1998年のミスコン界隈については情報がほとんど現存せず、結局肯定も否定もできない
レズ奴隷疑惑[編集]
これについても絶版になっていない出版物から得た情報に従って執筆するよう努めた。この件について叶姉妹、とくに恭子が何をしたか、A子さんの証言以外の客観的な証拠は『週刊ポスト』の記事中にない。その点は注意。
A子さんは東京都在住の資産家令嬢。1999年の『週刊ポスト』によると現在[注釈 11]はOL。叶姉妹と初めて会ったのは数年前の5月のこと。知人のY氏を通して知り合う[30]。その数日後、恭子から電話。もともときれいな人が好きだったこともあり、恭子に憧れに似た感情を抱く。ただし、その電話で「つきあおう」と言われたのには驚いた。それから何回か食事や買い物に行く[31]。
出会ってから2か月くらいたったある日、電話で「Hデートしましょ」といわれ、女性同士の行為に抵抗を感じたが迷った末に会うことにした。気持ち悪かったが恭子は憧れのひとだから仕方ないとも思った。この日を境に恭子との関係は約2年にわたって続きことになる[32]。バイブや合法ドラッグまで使用した行為は100回以上に及んだ[33]。
これだけなら問題はない[要出典]が、こうして築き上げたA子さんとの信頼関係を悪用して、恭子と美香はA子さんを性接待要員としてオトコに提供するのだ。以下、詳述する。
数年前の春、A子さんと恭子・美香がパーティーに出席、そのあと美香にホテルに連れていかれる。そこでX氏を紹介される。美香によると「(Hするしないは)A子ちゃんの自由」とのことだが、恭子から常々「3人目の妹になりたいのなら頑張らないと」と言われていたA子さんは「妹になるためなら肉弾接待もやむなし」と、断れなくなっていた[34]。結局、X氏とする。A子さんが「憧れの叶姉妹ともっと仲よくなりたい」のをいいことにまんまと利用したのだ[35]。
このようなことはこれ1回ではない。ミス・アジアパシフィックの国内大会が約1か月後に迫ったころ、美香から音楽プロデューサーを紹介される。P氏は「君をこういう風に売り出す」「写真集を出して・・・」などと、大会も始まっていないのに(代表になれる前提で?)そんな話をしてA子さんに疑念を抱かせた[36]。「ホントにやる気だったら俺と寝ろ。代表になるには2000万 - 3000万かかる。その金は俺が出すから最低2年は付き合おう」あまりに露骨な発言に席を外したA子さんは叶姉妹に電話。電話に出た美香に「HするしないはA子ちゃん次第。でも絶対あなたのためになる人だから」と言われ、当時叶姉妹を信じ切っていたA子さんは不承不承部屋に行く。P氏に頭を掴まれて無理フェラさせられる。やがて叶姉妹に対する不信感が募り、P氏とは会わなくなった[36]。
フィルモグラフィ[編集]
映画[編集]
- 『IL VENTO E LE ROSE イルベントエレローゼ 愛するということ』 - 恭子の著書『トリオリズム』(後述)を原作とした、初主演映画
テレビ番組[編集]
- ブラック・ジャック3 悲劇の天才料理人(2001年9月26日、TBS)[注釈 12][37]
- ホストの花道 歌舞伎町大戦争SP(2006年3月7日、CX)[38]
- 解禁!○○女をのぞき見SP(2008年8月25日、テレ東)[注釈 13][39]
映像作品[編集]
- 『叶恭子のSUPER BEAUTY BODY MAKING 1st STAGE KYOKO'S DAYLY LIFE 歩くだけでキレイになれる/2nd STAGE KYOKO'S DAYLY EXERCISES 毎日のエクササイズ』(2000年8月、ポニーキャニオン)VHS(2巻)、DVD(2枚組)
- 『KYOKO KANO'S NON-FICTION HEAVENLY BEAUTY』(2000年8月19日、ポニーキャニオン)VHS、DVD
出版[編集]
- 『叶恭子のスーパービューティ』(1999年8月)
- 『蜜の味―ミレニアム・ミューズ』(1999年12月)
- 『INNOCENTBEAUTY-叶恭子フォトエッセー-』(2000年12月、ポニーキャニオン)
- 『HEAVENLY BEAUTY Kyoko kano'S Non-Fiotion』発行:ポニーキャニオン、発売:扶桑社
- 『叶恭子・トリオリズム(3P)』(2006年1月、小学館)
- 『KYOKO KANO Super BEAUTY Love & Sex』(2007年3月28日)
- 『fabulous beauty “kyoko kano”/ファビュラス ビューティ 』(2008年4月22日)
- 『叶恭子の知のジュエリー12ヵ月』(2008年8月23日、理論社・よりみちパン!セ レーベル)
- 『KOKO』(2009年3月16日)
- 『叶恭子の美しすぎる奇跡のセレブ肌を貴方に 「美は1日してならず」』(2012年6月26日)
- 『叶 恭子幸せの日めくり 31のフィロソフィ たとえ100万人が楽しそうにしていたとしても、そこに楽しめるものがない『この世にたった一人のあなた』は、無理に笑うことはありません。』(2015年12月25日)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 『シーザーの憂鬱』では町工場になっている。倒産したのはもっと後のことだとする資料もある
- ↑ 守口市馬場町。現在は校名も所在地も変わっているはず
- ↑ 東大阪市の女子校でバスケが強い、とする資料もある。その条件を満たすのはアナン学園高等学校(当時は樟蔭東高等学校という女子校)なのだが…[3]
- ↑ 1980年4月1日から1981年3月31日の間
- ↑ この頃から、ミスコンで知り合った叶美香と叶姉妹を結成する1980年代末までが恭子にとって最も厳しい時期だったはず(芸能記者による)[3]
- ↑ 1999年の報道で10年前。単純計算
- ↑ グランプリとは言ってない。恭子によるとこの年のミス日本各賞は「グランプリ」、本選に残った人に贈られる「ミス日本」、次点の「ミス・ビューティーエリート」であるという。
- ↑ 自身も1977年度と1978年度のミス日本グランプリである
- ↑ ミス日本OGからも勝手なことを言うなと事務局に苦情が届いている
- ↑ 年末年始に遠足を行う公立小学校、ちょっと考えにくい
- ↑ 以下、この節では現在・数年前などの記述は雑誌が出た1999年12月を基準とする
- ↑ 美香は以前にもドラマに出たことがあるが、恭子にとってはこれがドラマ初出演である
- ↑ この時の肩書はセレブタレント
出典[編集]
- ↑ a b “叶恭子(かのうきょうこ)”. thetv.jp. 2022年2月6日確認。
- ↑ “叶姉妹、スリーサイズを告白 ファビュラスボディを忠実再現した特注トルソーが話題”. mdpr.jp (2018年3月17日). 2022年2月6日確認。
- ↑ a b c d e 週刊文春 2005, p. 44.
- ↑ 蜜の味 2000, 第2章 孤独で贅沢な少女時代.
- ↑ a b c d 吉田 2000, p. 54ff.
- ↑ 蜜の味 2000, 第3章 愛とお金の問題.
- ↑ 蜜の味 2000, p. 113.
- ↑ a b 週刊文春 1999c, p. 44.
- ↑ 「出逢い… 好きです 叶恭子」、『平凡パンチ別冊』第9巻第8号、マガジンハウス、1984年9月1日、 130-137頁。
- ↑ 蜜の味 2000, p. 112.
- ↑ 「発掘!ゴージャス叶恭子がAカップだった頃」第47巻第13号、文藝春秋、2005年3月31日、 NDL:00010885。
- ↑ 蜜の味 2000, 第6章 石油王との宴, 第7章 宴の請求書.
- ↑ 週刊ポスト 1999e, p. 38.
- ↑ “闇に葬り去られた「発禁本・発禁マンガ」(5)細木数子、松坂慶子、倉木麻衣が訴訟”. Asagei+ (2016年5月4日). 2022年2月7日確認。
- ↑ “中村うさぎ“叶恭子”めぐる抗議にオブジェクション!”. zakzak.co.jp (2005年10月18日). 2015年11月19日確認。
- ↑ a b “叶恭子が熱烈ラブコールしたのは、なんと最も知的なあの生物!”. cinematoday.jp (2008年6月5日). 2022年2月6日確認。
- ↑ a b “『バグズ・ワールド』虫の日(6月4日)イベントレポート 叶恭子vs叶美香 蟻(あり)の女王対決”. cinemajournal.net (2008年6月17日). 2014年7月13日確認。
- ↑ 叶恭子 (2009年3月4日). “アンダーヘアのお手入れ”. 叶姉妹オフィシャルブログ ABUNAI SISTERS. 2019年11月8日確認。
- ↑ 「叶恭子が語る「私のセックス・ルール」」、『JUNON』第34巻第6号、主婦と生活社、2006年。
- ↑ “アンジェリーナ・ジョリーと‥‥。”. 叶姉妹オフィシャルブログ「ABUNAI SISTERS」 (2009年2月4日). 2022年2月6日確認。
- ↑ “グットルッキング・ガイ”. 叶姉妹オフィシャルブログ「ABUNAI SISTERS」 (2009年2月5日). 2022年2月6日確認。
- ↑ 蜜の味 2000, p. 120.
- ↑ 蜜の味 2000, p. 125-126.
- ↑ a b 週刊ポスト 1999e, p. 39.
- ↑ a b 週刊文春 1999b, p. 194-195.
- ↑ 蜜の味 2000, p. 124-125.
- ↑ 蜜の味 2000, p. 55-57.
- ↑ 週刊ポスト 1999e, p. 38-39.
- ↑ a b 週刊ポスト 1999c, p. 43.
- ↑ 週刊ポスト 1999a, p. 41.
- ↑ 週刊ポスト 1999a, p. 42.
- ↑ 週刊ポスト 1999a, p. 42-43.
- ↑ 週刊ポスト 1999b, p. 45.
- ↑ 週刊ポスト 1999b, p. 45-46.
- ↑ 週刊ポスト 1999b, p. 47.
- ↑ a b 週刊ポスト 1999c, p. 44.
- ↑ “[はやミミ]叶恭子がドラマ初出演”. 読売新聞: p. 13. (2001年9月26日)
- ↑ “東京と大阪のホストナンバー1かけ激突 7日、フジテレビ系で放送”. 読売新聞: p. 14. (2006年3月6日)
- ↑ “「いきすぎた」女性たち大集合 テレ東系、八代亜紀が女子高生体験も”. 読売新聞: p. 17. (2008年8月21日)
参考文献[編集]
- 吉田司「叶姉妹 恭子・美香 (現代の肖像)」、『AERA』第13巻第43号、朝日新聞出版、2000年、 54ff、 。
- 「私が囚われた叶姉妹とのレズ奴隷生活2年間」、『週刊ポスト』第31巻第47号、小学館、1999年11月26日。
- 「「私が叶姉妹に仕組まれた青年実業家へのSEX接待」一部始終」、『週刊ポスト』第31巻第48号、小学館、1999年12月3日。
- 「叶姉妹の交友男たちはこうして私の肉体に群がった!」、『週刊ポスト』第31巻第49号、小学館、1999年12月10日。
- 「本誌が掴んだ「叶姉妹恭子美香は赤の他人」の決定的証言」、『週刊ポスト』第31巻第51号、小学館、1999年12月17日。
- 「ついに身内が!「叶姉妹へ、もうウソはやめなさい」」、『週刊ポスト』第31巻第52号、小学館、1999年12月24日。
- 『蜜の味 ミレニアム・ミューズ』 幻冬舎、2000年1月11日(原著2000年1月1日)、第2刷。ISBN 4-87728-347-1。
- 「〝日本一ゴージャス〟叶姉妹本日も嘘八百」、『週刊文春』第41巻第31号、文藝春秋、1999年8月12日、 。
- 「叶姉妹の“ルーツ”は村上春樹の小説だった?」、『週刊文春』第41巻第47号、文藝春秋、1999年12月9日、 。
- 「超セレブ叶恭子「Aカップ時代の仰天グラビア」」、『週刊文春』第47巻第13号、文藝春秋、2005年3月31日、 。
関連文献[編集]
- 佐藤茂、シーザー 『シーザーの憂鬱: ゴージャス姉妹叶恭子の捨てた猫』 モッツ出版、2000年。ISBN 4944214030。