中山道

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中山道 (なかせんどう、中仙道) とは、日本の街道。江戸時代に整備された五街道の一つである。

概要[編集]

江戸の日本橋と京都の三条大橋を北回りの内陸経由で結ぶ街道。海側を走る東海道と比べ遠回りしており、東海道より険しい地形を通る箇所が多い。滋賀県の草津では東海道と合流し三条大橋を目指す。日本橋から三条大橋までの距離は135里34町余(約526.3 km)、草津までは129里10町余(約507.7 km)あった。関所は碓氷(坂本宿の西)と福島にあり、江戸から京都までの間に69の宿場町がある。これは東海道五十三次と同様に中山道六十九次と呼ばれている。下諏訪では五街道の一つである甲州街道と合流する。

碓氷峠や和田峠、鳥居峠などの難所があり、全線を踏破するのには東海道と比べ当時は早くて1日、遅くて1週間ほど長い時間がかかった。
他方、東海道のように長雨での川止めが殆どない長所もあり、幕末には和宮降嫁に使われた。

また、中山道の中でも木曽川沿いを通る区間は木曽路 (きそじ、木曾路) と呼ばれる。かつては中山道全体が木曽街道と呼ばれていたが、江戸時代に幕府が呼称を統一した結果中山道の呼称になった。木曽路は飲食店チェーンの木曽路の名前の由来となった。

近現代における中山道[編集]

近現代においても中山道は重要な輸送路として活躍している。

道路[編集]

現在、中山道を国道17号、国道18号、国道142号、国道20号、国道19号、国道21号などが踏襲している。これらの国道は自動車用の道として付け替えられた区間も多く、並行する旧道に「旧中山道」の呼称が用いられることが多い。道路の付け替えが行われた区間として、峠道以外だと東京~鴻巣間などが挙げられる。

また、並行する高速道路として関越自動車道、上信越自動車道、名神高速道路などが存在する。ただ、東御~下諏訪間など一部並行する高速道路が存在しない区間があり、中央自動車道はむしろ甲州街道と一体のルートを辿っている。

この中山道と比べ、東海道は踏襲する国道が国道1号の一本であり、高速道路も東名高速道路、伊勢湾岸自動車道、新名神高速道路の3本でありシンプルであることがわかる。

鉄道[編集]

こちらも道路と同じく並行する鉄道がいくつかに分かれており、高崎線、信越本線、しなの鉄道線、中央本線などが並行し、太田以西でも中山道はほぼ高山本線や東海道本線に沿っている。
こちらは地形が険しいために、馬籠、大久手などで迂回しているだけでなく、碓氷峠の廃線の影響などもあり完全に並行しておらず、本山、今須、番場など鉄道が近くを通過しながら駅が設けられなかった宿場町もある。

なお、将来的に開通する予定であるリニア中央新幹線の一部は中山道と並行している。また、上越新幹線大宮~高崎間、北陸新幹線高崎~佐久平間など新幹線が並行する区間もある。

鉄道の歴史[編集]

明治時代には中山道本線という路線が計画され、測量も行っていた[注 1]。
この中山道本線は当時、架橋の多い東海道本線より建設が容易なものとされ、軍部が支持し、蚕業家も鉄道公債を引き受けて支援しており、高崎〜横川間と加納(岐阜)〜関ヶ原間は比較的早期に開通した。
しかし、碓氷峠で難航し、技術の進歩で建設が容易となった東海道本線の横浜〜大府間の建設推進に切り替え、鉄道公債は目的外流用となった。その後、米原〜馬場間も開業した。
田中駅までは、中山道幹線断念後も日本海連絡鉄道として建設継続し、下諏訪以南も中央本線として新たに着工された。
脇往還沿いにも東武東上線、上信電鉄、小海線や飯田線が建設されたが、東信と中南信の間の直行鉄道建設は後回しになり、佐久諏訪電気鉄道、上田松本電鉄などの私鉄も計画されたが、遂に未成のまま終わった。

主な脇往還[編集]

関連項目[編集]

五街道[編集]

注[編集]

  1. ↑ 和田峠が険しいため、東信と中南信の間は北西の保福寺峠経由で松本盆地に抜ける測量を行っていた。