ルイ7世

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ルイ7世(英:Louis VII)とは、カペー朝の6代目フランス国王。

1120年ルイ6世の次男として誕生。1131年に兄フィリップが死去し王太子となった。1137年6月、アキテーヌ公の令嬢アリエノール・ダキテーヌと結婚する。しかし、修道院で聖職者として育てられたルイは真面目で清貧な性格だったのに対し、アリエノールは我儘で傲慢な娘だったため夫婦仲は良くなかった。同年8月に父王が崩御したため17歳でフランス国王ルイ7世として即位した。このため彼は若王などと呼ばれる。

ルイ7世は積極的な対外政策によりポワティエやシャンパーニュへの軍事遠征を敢行した。1147年からは第2回十字軍にも参加したが大失敗に終わった。この間にアリエノールは叔父との不倫に走ったため、夫婦仲は最悪となり1152年に離婚した。しかしその僅か2ヶ月後、アリエノールはアンジュー/ノルマンディー伯アンリと再婚した。アンリはイングランド王ヘンリー1世の孫で次期王位継承者でもあった。すなわち彼がイングランド王に即位すればフランス国土の半分がイングランドの支配下に入ることを意味していた(アンジュー帝国)。

1154年、遂にアンリはイングランド王に即位しヘンリー2世となった。ルイ7世はイングランドを大陸から排除しようと戦争を繰り返したが、戦上手のヘンリー相手に歯が立たず逆に領土を削り取られた。しかし1160年代半ばになると風向きが変わり始める。1166年、アリエノールの妊娠中にヘンリーが浮気していたことが発覚し夫婦仲が破綻した。さらに1170年カンタベリー大司教のトマス・ベケットがヘンリーの部下に暗殺されたことで息子たちとの関係も悪化した。ルイ7世はリチャードらヘンリーの息子らの反乱を裏から扇動し、アンジュー帝国を裏から突き崩すことを試みた。また1165年には3番目の妻との間に待望の王子フィリップ(後のフィリップ2世)が生まれた。

結局この計画は失敗し、1180年にルイ7世は崩御した。享年59または60。しかし後世でフランス史上最も偉大な王と称される息子フィリップ2世の活躍によりアンジュー帝国は崩壊することとなる。