ブリカス

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ブリカスとは、紳士淑女の国イギリスに対する蔑称である。

概説[編集]

イギリス本島であるブリテンとカスを掛け合わせたもの。イギリスは歴史上数々の蛮行を犯してきたため世界史オタクからの評判は著しく悪い。歴史を学ぶと大体の人がイギリスを嫌いになる。なお、ここでのブリカスとは国としてのイギリスのことであり、イギリス人一人一人を指しているわけではない。イギリス人にも善き人は大勢居るのでその辺りは混同しないようにしよう。

  • 類似語としてフランス版の「フラカス」やアメリカ版の「アメカス」が存在するが、「ドイカス」や「ソビカス」は無い。独ソに友好的な日本人感情の現れとも言うべきか。

悪行の数々[編集]

アヘン戦争
代表例。19世紀中頃、イギリスは(当時の中国)へ麻薬であるアヘンを密輸入しガッポガッポ稼ぐことに成功する。しかし、アヘン中毒者が増えすぎたため困った中国政府がアヘンを投棄したところイギリスは逆ギレ。清に対して戦争を仕掛け、圧倒的火力で大勝し講和条約で中国から香港を奪い、アヘンの輸入も黙認させた。
奴隷貿易
16世紀から18世紀にかけてスペインと共にアフリカ黒人奴隷アメリカ大陸に大量連行したのもイギリスである。過酷な船旅で多くの黒人たちが命を落とし、なんとかアメリカに到着した者も白人領主の奴隷として死ぬまでこき使われることとなった。現在、人道的な問題から奴隷制は廃止されたが、アメリカではいまだに深刻な黒人差別が残っている。
ベンガル飢饉
太平洋戦争の最中、当時イギリスの植民地であったビルマ日本軍によって占領されてしまった。この結果、の輸入をビルマに頼っていたインドベンガル地方は深刻な食糧不足に陥ってしまう。しかし、当時イギリスの首相であったチャーチルは「インドが飢饉というのなら、なぜガンジーは死んでいないんだ!」と意味不明な理論を展開し食糧支援を拒否。これによりベンガル地方では300万人が餓死する事態となった。最もこれは大日本帝国にも責任があると言えなくもないが…
三枚舌外交
第一次世界大戦の最中、イギリスは第一次世界大戦後の中東問題に対して、三つの協定を結んでいた。その内容はそれぞれ、アラブ人,フランス,ユダヤ人に配慮した内容だった。これはパレスチナ問題中東戦争の原因となった。
アボリジニの迫害
18世紀終盤、イギリスがオーストラリアを植民地化して以降、主に流刑者によって、アボリジニ(先住民族)に対する組織的な虐殺が行われた。スポーツの一環としてアボリジニ狩りが行われた記録が残っているなど、その悲惨さは目に余るものである。
イギリス領インド帝国
前述したベンガル飢饉も含め、イギリス統治時代のインドでは「ブリカス」案件が多発した。反英的な民族運動の弾圧(アムリットサル事件など)により多くのインド人が投獄・殺害され、作物の強制収奪・強制栽培による農業基盤の弱体化は、飢饉を頻発させた。さらにカースト制度を再編し、支配の道具として利用したことで、今なお残る差別を助長させた。挙句の果てには、第一次世界大戦でイギリスに協力すれば自治権を付与するとした約束を反故にし、第二次世界大戦後に実行した分離独立は、インドパキスタンの対立の原因となった。
ジャガイモ飢饉
イギリスに併合されて以来、アイルランドの土地の8割以上はイギリス人の地主に占有された。小作人となったアイルランドの農民は、差別や貧困に苦しむ中でジャガイモを育てていたが、ジャガイモの疫病などにより不作が深刻化し、飢饉と化した。イギリス政府の食糧情勢に介入しない(つまるとこと放置)政策も飢饉に拍車をかけた。最終的に、栄養失調やチフスで100万人が死亡したとされる。
アパルトヘイト
南アフリカで行われた人種隔離政策。イギリスが直接携わったわけではないが、土台となる差別はイギリス統治時代の南アフリカで形作られた。
各地の文化財の略奪
イギリスが大英帝国として繁栄し、アフリカなど各地を植民地化した際に、その土地の美術品や工芸品、歴史的に価値のある宝物などを略奪した。多くは大英博物館に展示されており、近年になって、返還を巡る議論が行われている。

関連項目[編集]