ヒカリデユール
ナビゲーションに移動
検索に移動
お知らせ |
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくはwp:ja:馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。 |
ヒカリデユール | |
---|---|
欧字表記 | Hikari Duel |
品種 | サラブレッド系種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1977年(昭和52年)3月6日 |
死没 | 不明(1992年8月用途変更) |
父 | デュール |
母 | (サラ系)アイテイグレース |
母の父 | ゲイタイム |
生国 |
![]() |
生産 | キタノ牧場 |
馬主 |
佐々洋 →橋本善吉 |
調教師 |
飯野貞次(大井) →出川己代造(船橋) →出川龍一(船橋) →野島豊(愛知) →須貝彦三(栗東TC) |
競走成績 | |
タイトル |
優駿賞年度代表馬(1982年) 優駿賞最優秀5歳以上牡馬(1982年) |
生涯成績 |
45戦10勝 (地方競馬38戦7勝) (中央競馬7戦3勝) |
獲得賞金 | 2億3518万2800円 |
ヒカリデユールは、日本の競走馬・種牡馬である。馬名に促音・拗音の使用が認められていなかった地方競馬でデビューしたため、名前の発音は「ヒカリデュール」である。
生涯[編集]
母方の先祖にオーストラリアから輸入された「バウアーストック」がいるが、バウアーストックは輸入された時点でサラブレッドであることを証明できる血統書がなく、彼女の子孫は代々サラブレッド系種として登録された。ヒカリデユールもその中の1頭である。
大井競馬場でデビュー。南関東三冠で4、4、2着となり、5歳時には東海公営の重賞、東海桜花賞で勝利。地方で累計38戦7勝の成績を引っ提げて中央競馬へと転入したが、重賞勝利は東海桜花賞の1勝のみで、圧倒的な実績というわけではなかった。
中央転入後、朝日チャレンジカップへ出走。7番人気で挑んだ同レースに勝利し、秋の天皇賞ではメジロティターンの2着に入った。ジャパンカップにも出走し、同年出走した日本馬5頭の中で最先着となる5着となった。同年末の有馬記念では3番人気に支持され、最後の直線から一気に追い込み、アンバーシャダイをゴール直前でアタマ差かわして優勝した。この年の活躍を評価され、1982年の年度代表馬に選出されている。
1983年も現役を続行。オープン戦での3着を挟んで大阪杯で優勝し、春の天皇賞へ出走。しかし2周目向正面手前で故障し、競走能力を喪失。引退した。
引退後はトヨサトスタリオンセンターで種牡馬入りするが、サラ系というハンデもあって恵まれた成績とはならず、1992年に種牡馬引退となった。その後の行方は知られていない。