ウルバーノ・ピオ・フランチェスコ・ジャコーモ・ラッタッツィ(イタリア語:Urbano Pio Francesco Giacomo Rattazzi、1808年6月30日-1873年6月5日)とはイタリア王国の政治家である。1862年と1867年に第一次ラッタッツィ内閣、第二次ラッタッツィ内閣としてイタリア王国首相を務めた。いずれの内閣もリカゾリ内閣の後継政権として成立したが、いずれも政治管理ができずすぐに辞任に追いやられた。(2次政権時はローマ問題が大きく関わる。)