アレクサンドル3世

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アレクサンドル3世(露:Александр III)とは、ロマノフ朝ロシア帝国の13代目皇帝。

生涯[編集]

1845年3月10日、[[サンクトペテルブルク22で生まれる。父はアレクサンドル2世。次男だったため軍人として育てられていたが、1865年に長男の皇太子ニコライが病気で死去したことで後継者に指名された。翌1866年10月、デンマーク王女マリアと結婚。二人の夫婦仲は良好で4男2女をもうけたが、一方で父アレクサンドル2世との関係は彼の愛人問題を巡って悪化し、1880年頃には絶縁状態となった。1881年3月13日父が爆殺されたことでロシア皇帝に即位。祖父ニコライ1世を範とする厳しい専制政治を行った。外交面ではパン=スラヴ主義を掲げ、クリミア戦争敗北以降止まっていた欧州方面での南下政策を再開した。1877年オスマン帝国との露土戦争に勝利し、ブルガリアを保護国化して地中海への進出を試みたが、これを嫌うイギリスオーストリアが猛反発。ドイツ帝国宰相ビスマルクが主催した翌年のベルリン会議でブルガリアを手放すこととなった。これによりドイツに不信感を抱いたアレクサンドルは、1894年に同じくドイツと険悪だったフランス露仏同盟を締結した。フランス資本の導入によりロシアでは急速的に工業化が進んでいった。同年11月1日、アレクサンドル3世は持病の腎不全の悪化により崩御した。享年49。息子のニコライ2世が後を継いだ。

その他[編集]

関連項目[編集]