ニコライ2世

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ニコライ2世(ロシア語: Николай II, ラテン文字転写: Nikolai II、1868年5月18日 - 1918年7月17日)は、ロシア帝国最後の皇帝(ツァーリ)。全ロシアのインペラートルおよび専制君主、フィンランド大公ポーランド国王を兼ねた。

彼の治世は、ロシアが工業化を推進し、国際的な舞台で存在感を増す一方で、社会不安が拡大し、最終的にはロシア革命によってロマノフ朝が崩壊する激動の時代であった。

生涯[編集]

誕生と幼少期[編集]

ニコライ2世は1868年5月18日ユリウス暦では5月6日)、ツァールスコエ・セローアレクサンドロフスキー宮殿で、当時の皇太子であったアレクサンドル・アレクサンドロヴィチ(後のアレクサンドル3世)と、その妃マリア・フョードロヴナ(旧名:デンマーク王女ダウマー)の長男として生まれた。

幼少期は、軍事訓練と厳格な規律の下で育てられた。また、家庭教師からは様々な学問を学び、特に語学に堪能であった。

皇太子時代[編集]

1881年、祖父であるアレクサンドル2世暗殺されると、父アレクサンドル3世が即位し、ニコライは皇太子(ツェサレーヴィチ)となった。父の治世下で、ニコライは国政の実務に触れる機会を得た。

1891年には、東洋諸国を歴訪するロシア皇太子ニコライの世界旅行に出発。この旅の途中で、日本の大津市大津事件に遭遇する。

皇帝即位[編集]

1894年11月1日、父アレクサンドル3世が崩御したことにより、ニコライは26歳でロシア皇帝に即位した。同年11月26日には、ヘッセン大公国ヴィクトリア・アリックス・ヘレナ・ルイーゼ・ベアトリクス(正教会に改宗し、アレクサンドラ・フョードロヴナとなる)と結婚した。

治世[編集]

ニコライ2世の治世は、以下の出来事が特徴的である。

  • 日露戦争(1904年 - 1905年)満州朝鮮半島の支配をめぐり、大日本帝国と衝突。ロシアは敗北し、国内の不満が高まった。
  • 血の日曜日事件(1905年)サンクトペテルブルクで、皇帝への嘆願のために冬宮へ行進していた労働者デモ隊に軍が発砲し、多数の死傷者を出した。この事件は、1905年ロシア革命の引き金となった。
  • 1905年ロシア革命:血の日曜日事件を機に全国で大規模なストライキ、農民蜂起、兵士の反乱が勃発。ニコライ2世は十月詔書を発布し、ドゥーマ(議会)の開設と立憲君主制への移行を約束したが、その権限は限定的であった。
  • 第一次世界大戦への参戦(1914年)サラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦に、セルビアを支援するために参戦。しかし、ロシア軍は緒戦から敗北を重ね、国民生活は疲弊し、ロマノフ朝への不満が頂点に達した。
  • ラスプーチンの影響:皇太子アレクセイの血友病治療に関与した神秘主義者ラスプーチンが皇后アレクサンドラを通じて宮廷で強い影響力を持つようになり、政府の腐敗と無能を招いたとして国民の批判の的となった。

ロシア革命と退位[編集]

第一次世界大戦中の1917年2月ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で大規模なデモと暴動が発生。事態は収拾不能となり、ニコライ2世は3月15日に弟のミハイル大公に譲位することで退位した。しかし、ミハイル大公も即位を拒否したため、ロマノフ朝は300年以上の歴史に幕を閉じた。

処刑[編集]

退位後、ニコライ2世一家は当初ツァールスコエ・セローに軟禁された後、トボリスク、さらにエカテリンブルクへ移送された。

1918年7月17日未明、ロシア内戦の最中、ボリシェヴィキによってニコライ2世、皇后アレクサンドラ、そして5人の子供たち(オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシア、アレクセイ)全員がイパチェフ館の地下室で銃殺された。遺体は森の中で秘密裏に埋葬された。

評価[編集]

ニコライ2世の評価は、歴史家の間でも分かれている。

  • 一部の歴史家は、彼を弱々しく、優柔不断な指導者と見なし、ロシア革命を防ぐことができなかった原因であると批判している。
  • 他の歴史家は、彼が帝政ロシアの時代に直面した構造的な問題(農民問題、工業化のひずみ、少数民族問題など)は、彼個人の能力だけでは解決し得ないほど深刻であったと指摘している。
  • 彼は深い信仰心を持ち、家族をこよなく愛する人物であったとされている。

豆知識[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • シーラ・フィッツパトリック著『ロシア革命史』、みすず書房、2001年。
  • ドミニク・リーヴェン著『帝国の終焉 ロシア、ドイツ、オスマン、ハプスブルク帝国 1914-1922』、慶應義塾大学出版会、2018年。
  • エドワード・ラジンスキー著『ラスプーチン』、集英社、2004年。