アメリカ空軍 試作戦闘機 YF-23

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YF-23は、アメリカ空軍先進戦術戦闘機(ATF)計画に基づいて、ノースロップ・グラマン社とマクドネル・ダグラス社が共同で開発したステルス戦闘機の試作機である。ロッキード・マーティン社が開発したYF-22との競争試作に敗れ、量産には至らなかった。愛称は非公式に「ブラック・ウィドウ II(Black Widow II)」あるいは「スパイラル(Spiral)」と呼ばれた。

開発経緯[編集]

1980年代アメリカ空軍ソ連の新型戦闘機、特にMiG-29Su-27といった「第4世代ジェット戦闘機」の登場に対抗するため、次世代の制空戦闘機の開発を計画した。これが先進戦術戦闘機(ATF)計画である。ATF計画の最大の目的は、レーダーに捕捉されにくいステルス性能、超音速巡航能力(スーパークルーズ)、高い運動性能を兼ね備えた機体を開発することであった。

1986年10月アメリカ空軍は提案依頼書(RFP)を発表し、各航空機メーカーからの提案を募った。これに対し、ロッキード社、ゼネラル・ダイナミクス社、ボーイング社の共同チームと、ノースロップ社とマクドネル・ダグラス社の共同チームの2つの提案が最終的に選定された。前者はYF-22を、後者はYF-23を開発することとなった。

YF-23の開発は、特に高速性能と優れたステルス性能に重点が置かれた。機体設計には、レーダー反射断面積(RCS)を最小限に抑えるための様々な工夫が凝らされた。また、超音速域での抵抗を減らすために、主翼はひし形に近い独特なデルタ翼を採用し、垂直尾翼はV字型の傾斜した構造となった。

機体[編集]

YF-23は、その先進的な設計が特徴である。試作機は2機製造され、それぞれ異なるエンジンを搭載して試験が行われた。

機体後部の排気口は、レーダーや赤外線センサーからの探知を困難にするために、特殊な形状に設計されており、これがYF-23の最大の識別点の一つとなっている。また、兵装は胴体下部の内蔵型兵器倉に収納され、ステルス性を損なうことなくミサイルなどを搭載できた。

YF-23は高い超音速巡航能力を有しており、アフターバーナーを使用せずに音速を超える飛行が可能であった。これは、当時としては画期的な性能であり、将来の戦闘機にとって重要な要素とみなされていた。

飛行試験[編集]

YF-23の初飛行は1990年8月27日に行われた。その後、2機の試作機を用いて様々な飛行試験が実施された。試験では、設計通りの高速性能とステルス性能が確認された。特に、スーパークルーズ能力においては、YF-22を凌駕する性能を示したとされる。

しかし、YF-23はYF-22と比較して、低速域での運動性能や操縦性の面で劣ると評価された。アメリカ空軍は、次期戦闘機には高速性能だけでなく、格闘戦能力も重視していたため、この点が最終的な選定に影響を与えたと考えられている。

競争と選定[編集]

YF-23とYF-22の競争試作は、1991年まで続いた。両機はそれぞれ異なる強みを持っていたが、最終的にアメリカ空軍1991年4月23日ロッキード・マーティン社のYF-22を選定した。YF-22は後にF-22 ラプターとして量産されることとなる。

YF-23が選ばれなかった理由については諸説あるが、一般的には以下の点が挙げられる。

  • 運動性能の差:YF-22は推力偏向ノズルを装備しており、YF-23よりも優れた機動性を有していた。
  • リスクの評価:YF-23の設計はより革新的であった反面、技術的なリスクが高いと判断された可能性がある。
  • 既存技術の活用:YF-22は、F-16F-15など、ロッキード社の既存の戦闘機開発で培われた技術がより多く活用されていた。
  • 政治的要因マクドネル・ダグラス社が後にボーイング社に吸収されるなど、当時の航空業界の再編も影響したという見方もある。

選定後、YF-23の2機の試作機は退役し、現在はそれぞれ博物館に展示されている。

豆知識[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『世界の傑作機 No.108 F-22ラプター』文林堂、2005年。
  • 『ミリタリー・イラストレイテッド27 F-22ラプター』大日本絵画、2010年。
  • 米空軍歴史局 公式サイト (AFHRA)