軽装甲兵員輸送車 Sd.Kfz. 250

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Sd.Kfz. 250は、第二次世界大戦中にドイツ国防軍で運用された軽装甲兵員輸送車である。正式名称は軽装甲兵員輸送車 Sd.Kfz. 250(leichter Schützenpanzerwagen Sd.Kfz. 250)

概要[編集]

Sd.Kfz. 250は、デマグ社が開発した1トンハーフトラックであるSd.Kfz. 10をベースに、装甲車体を取り付けたものである。Sd.Kfz. 10と同様、民間向けのハーフトラック技術を応用しており、前輪はタイヤ、後輪は履帯という半装軌式を採用しているのが特徴である。主に偵察部隊や装甲擲弾兵部隊に配備され、人員輸送の他、様々な派生型が開発され多目的に使用された。

Sd.Kfz. 250の最大の特徴は、Sd.Kfz. 10のシャーシを短縮して使用している点である。これにより、Sd.Kfz. 10よりも小型で軽量な車体となり、機動性に優れていた。しかし、車内空間は狭く、搭乗できる兵員はSd.Kfz. 251よりも少ない4名であった。

開発と生産[編集]

Sd.Kfz. 250の開発は、1939年にデマグ社によって開始された。原型となったSd.Kfz. 10は、優れた不整地走破能力と牽引能力を持っていたため、これを装甲兵員輸送車に転用する構想が持ち上がった。しかし、Sd.Kfz. 10の車体は装甲を施すには長すぎたため、シャーシを短縮する改修が行われた。

試作車は1940年に完成し、1941年から量産が開始された。主な生産はデマグ社の他、ヴェークマンブッシンク=NAGオーストロ=ダイムラーアドラーといった企業で行われた。生産台数は全型式合わせて約6,628両とされる。

Sd.Kfz. 250は、初期生産型である「アルテ型(alte Art)」と、生産効率を向上させた「ノイ型(neue Art)」に大別される。アルテ型は複雑な多角形装甲板で構成された車体側面が特徴で、ノイ型は生産工程簡略化のため、よりシンプルな傾斜装甲板で構成されている。ノイ型は1943年から生産が開始された。

構造[編集]

Sd.Kfz. 250は、オープントップ式の装甲車体に、前面は14.5mm、側面は8mmの装甲が施されていた。後期生産型のノイ型では、装甲配置が一部変更されている。

動力は、マイバッハ製HL42 TRKM直列6気筒液冷ガソリンエンジンを搭載し、100馬力を発揮した。前輪はステアリング操作によって操舵され、後部の履帯が駆動力を伝える方式である。路上での最高速度は65km/h、不整地では30km/hを発揮した。

武装は、Sd.Kfz. 250/1基本型の場合、通常1挺のMG34機関銃またはMG42機関銃を装備した。機関銃は前面と後部にそれぞれ1箇所ずつ銃架が設けられており、状況に応じて付け替えることができた。

派生型[編集]

Sd.Kfz. 250は、その汎用性の高さから、多数の派生型が開発された。

  • Sd.Kfz. 250/1:基本型。兵員輸送用。
  • Sd.Kfz. 250/2:通信ケーブル敷設車。
  • Sd.Kfz. 250/3:無線指揮車。長距離無線機を搭載。
    • Sd.Kfz. 250/3-I:FuG 12無線機搭載。
    • Sd.Kfz. 250/3-II:FuG 8無線機搭載。
    • Sd.Kfz. 250/3-III:FuG 7無線機搭載。
  • Sd.Kfz. 250/4:偵察車。MG34機関銃2挺またはMG151/15機関砲を搭載する計画もあったが、量産されず。
  • Sd.Kfz. 250/5:観測車。砲兵観測用。
  • Sd.Kfz. 250/6:弾薬運搬車。突撃砲の弾薬補給用。
  • Sd.Kfz. 250/7:重迫撃砲運搬車。8 cm GrW 34迫撃砲を搭載。
  • Sd.Kfz. 250/8:軽歩兵砲車。7.5 cm KwK 37 L/24(短砲身7.5cm戦車砲)を搭載。
  • Sd.Kfz. 250/9:偵察車。2 cm KwK 38機関砲とMG34機関銃を装備した小型砲塔を搭載。
  • Sd.Kfz. 250/10:対戦車砲指揮車。3.7 cm PaK 36対戦車砲を搭載。
  • Sd.Kfz. 250/11:対戦車砲車。2.8 cm sPzB 41重対戦車銃を搭載。
  • Sd.Kfz. 250/12:測量車。砲兵の測量に使用。

戦歴[編集]

Sd.Kfz. 250は、1941年独ソ戦開始以降、全ての戦線でドイツ国防軍の偵察部隊や装甲擲弾兵部隊に配備された。その小型軽量さと機動性により、偵察任務や連絡任務において高い評価を受けた。特に偵察部隊においては、Sd.Kfz. 222などの装甲車と連携し、敵陣深く偵察を行うことが可能であった。

しかし、装甲が比較的薄く、重火器に対する防御力は限定的であった。また、オープントップであるため、砲弾の破片や榴散弾、手榴弾などに対して乗員は無防備であった。それでも、その機動性と多目的性から、終戦までドイツ軍の重要な車両として運用され続けた。

投入された主な戦線・作戦[編集]

豆知識[編集]

  • Sd.Kfz. 250は、車体が小型であるため、「小さなSd.Kfz. 251」とも呼ばれた。
  • 初期生産型である「アルテ型」は、複雑な形状の装甲板を溶接して製造されており、生産に手間がかかった。後期生産型の「ノイ型」は、生産効率向上のため、より平滑な装甲板が採用された。この簡略化されたデザインは、識別の容易さにもつながった。
  • Sd.Kfz. 250は、ドイツ軍の部隊章などにもよく描かれ、その存在感を示していた。
  • 一部の車両は、敵から鹵獲され、ソ連や連合国側でも運用された記録がある。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • グランドパワー編集部編「ドイツ軍ハーフトラック」『グランドパワー』2006年1月号別冊、ガリレオ出版、2006年。
  • 吉川和篤、山野治夫『ドイツ装甲車輛 I』(ミリタリーユニフォーム14)、大日本絵画、1998年。
  • 広田厚司『ドイツ軍用車両』(カラー版ミリタリー選書)、光人社、2000年。