ロッキード P-80 シューティングスター
ロッキード P-80 シューティングスター(Lockheed P-80 Shooting Star)は、第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国のロッキード社が開発した初の量産型ジェット戦闘機である。その登場は航空機の歴史における重要な転換点となり、レシプロエンジン機からジェットエンジン機への移行を象徴する機体となった。
開発[編集]
1943年、アメリカ陸軍航空軍は、イギリスのグロスター ミーティアやドイツのメッサーシュミット Me262といったジェット戦闘機の開発情報を入手し、自国でも同様の機体の開発に着手することを決定した。当初、陸軍航空軍はベル・エアクラフト社にジェット戦闘機の開発を命じていたが、ロッキード社のケリー・ジョンソン率いるスカンクワークスチームは、独自の判断でジェット戦闘機の研究を開始していた。
1943年6月、ロッキード社は陸軍航空軍からXP-80の試作機発注を受けた。このプロジェクトは「ライトニング計画」と名付けられ、極秘裏に進行した。ロッキード社は、イギリスから提供されたディ・ハビランド ゴブリンジェットエンジンを搭載することを前提に設計を進めた。
わずか143日という短期間で試作機XP-80が完成し、1944年1月8日に初飛行を行った。しかし、この機体はエンジンの問題により失われたため、2号機であるXP-80Aが製作され、こちらはアメリカ製のゼネラル・エレクトリック J33エンジンを搭載して1944年6月10日に初飛行を行った。XP-80Aは優れた性能を示し、量産型のP-80Aが発注されることになった。
設計[編集]
P-80は、直線翼を持つ単座の低翼機である。機体構造は主にアルミニウム合金製で、当時としては先進的なセミモノコック構造を採用していた。主翼には層流翼型が採用され、高速飛行時の性能向上に寄与した。
エンジンは胴体内に搭載され、機首からの吸気口と、主翼付け根後方からの排気口を持つ。このレイアウトは、後の多くのジェット戦闘機にも影響を与えた。武装は機首に12.7mm機関銃6門を集中配置しており、高い火力を持っていた。主翼下には増槽や爆弾を搭載するためのパイロンが設けられていた。
運用[編集]
P-80は、第二次世界大戦末期にヨーロッパ戦線に投入されたが、実戦参加の機会は限定的であった。本格的な実戦投入は朝鮮戦争においてであり、F-86 セイバーの登場までは主力戦闘機として活躍した。特に、ソ連製のMiG-15との空中戦では苦戦を強いられたものの、初期のジェット戦闘機同士の空中戦を経験した重要な機体となった。
P-80は、戦闘機としてだけでなく、写真偵察機型のRF-80や、複座練習機型のT-33 シューティングスターなど、様々な派生型が開発された。特にT-33は世界中の空軍で広く運用され、長きにわたってパイロットの育成に貢献した。
派生型[編集]
- XP-80: 最初の試作機。イギリス製エンジン搭載。
- XP-80A: 2番目の試作機。アメリカ製エンジン搭載。
- P-80A: 初期量産型。
- F-80B: 性能向上型。名称変更により「P」から「F」へ変更された。
- F-80C: 最終量産型。
- RF-80: 写真偵察機型。
- T-33 シューティングスター: 複座練習機型。非常に成功した派生型。
豆知識[編集]
- P-80は、アメリカ初の量産ジェット戦闘機であり、アメリカ本土防衛の要として期待された。
- 朝鮮戦争では、初期の空中戦においてMiG-15と激しい戦いを繰り広げ、ジェット戦闘機時代の幕開けを告げた。
- T-33練習機は、その優れた操縦性と信頼性から、多くの国々で採用され、半世紀以上にわたって運用され続けた息の長い機体である。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- スティーブ・ガーツマン (著), 岡部 いさく (訳) 『P-80 シューティングスター (世界の傑作機 No.195)』 文林堂、2020年。ISBN 978-4-89319-305-6。