自然主義
自然主義(しぜんしゅぎ、英: Naturalism)は、哲学、芸術、文学など多岐にわたる分野において用いられる概念であり、超自然的なものや非経験的なものを排し、自然的なもの、経験的なもののみを重視する立場を指す。その根底には、世界は自然法則によってのみ説明可能であるという見解がある。
哲学における自然主義[編集]
哲学における自然主義は、存在論、認識論、倫理学など、哲学の様々な領域にわたる広範な立場を指す。
存在論的自然主義[編集]
存在論的自然主義(英: Ontological naturalism)は、世界に存在するものは全て自然的なもの、すなわち物理的なもの、あるいは物理的なものに還元可能なもののみであるという見解である。これは、超自然的な存在(神や魂など)や、非物理的な実体(意識が独立した存在であるという見解など)の存在を否定する。多くの場合、物理主義(英: Physicalism)と密接に関連している。
認識論的自然主義[編集]
認識論的自然主義(英: Epistemological naturalism)は、知識の獲得や正当化のプロセスを、自然科学的な方法論、特に心理学や脳科学といった経験科学の知見に基づいて理解しようとする立場である。ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、哲学における認識論的探求が、経験科学と断絶した形でなされるべきではないと主張し、認識論を科学の中に組み込むべきであるとした。これは「自然化された認識論」(英: Naturalized epistemology)と呼ばれる。
倫理的自然主義[編集]
倫理的自然主義(英: Ethical naturalism)は、倫理的価値や規範を、経験的な事実や自然的な性質に基づいて説明しようとする立場である。例えば、幸福や快楽といった自然的な状態を善とみなしたり、生物の進化の過程で形成された行動様式に道徳の根拠を求める見解などがこれに該当する。しかし、G・E・ムーアは、善を自然的な性質と同一視しようとする試みを「自然主義的誤謬」(英: Naturalistic fallacy)として批判した。
その他の哲学における自然主義[編集]
- 科学的自然主義(英: Scientific naturalism): 科学的方法こそが、知識を獲得する唯一の、あるいは最も信頼できる方法であるとする立場。
- 形而上学的自然主義(英: Metaphysical naturalism): 存在論的自然主義とほぼ同義に用いられるが、より広範に、世界の究極的な性質は自然法則によって支配されるという見解を含む。
芸術における自然主義[編集]
芸術における自然主義は、対象をありのままに、理想化せずに描こうとする傾向を指す。これは、ロマン主義の主観性や理想化への反動として現れた。
絵画[編集]
絵画における自然主義は、写実主義(英: Realism)と密接に関連する。特に19世紀後半、ギュスターヴ・クールベなどが、社会の現実や日常的な風景を、美化せずに詳細に描写しようと試みた。これは、伝統的な歴史画や神話画に代わり、庶民の生活や労働、風景などを題材とすることにつながった。
演劇[編集]
演劇における自然主義は、舞台上で現実の生活を忠実に再現しようとする演出や演技のスタイルを指す。コンスタンチン・スタニスラフスキーのシステムは、俳優が役柄の内面を深く掘り下げ、自然な感情表現を行うことを重視した点で、自然主義演劇に大きな影響を与えた。アンリ・ベックやイプセンの作品も、社会問題や人間の内面をリアルに描くことで、自然主義演劇の発展に貢献した。
文学における自然主義[編集]
文学における自然主義は、19世紀後半にフランスで起こった文学運動であり、人間や社会を客観的に観察し、その現実を科学的な視点から描写しようとする特徴を持つ。
特徴[編集]
- 決定論的視点:人間は遺伝や環境といった要因によって行動が決定されるという見方。
- 客観的描写:作者の主観を排し、事実をありのままに記述する。
- 醜悪な側面への注目:社会の底辺や人間の暗い側面、病理などを躊躇なく描く。
- 詳細な描写:登場人物の心理や行動、環境を細部にわたって描写する。
代表的な作家と作品[編集]
- エミール・ゾラ(仏): 自然主義文学の提唱者であり、代表作に『ルーゴン・マッカール叢書』がある。彼は、人間の遺伝と環境がいかに行動に影響を与えるかを科学的に分析しようとした。
- ギ・ド・モーパッサン(仏): 短編小説において人間の心理や社会の現実を客観的に描写した。『女の一生』など。
- スティーヴン・クレイン(米): アメリカ自然主義文学の先駆者。『赤い武功章』など。
- フランク・ノリス(米): 『マクティーグ』など、社会の暗部や人間の本能を描いた。
- 徳冨蘆花(日): 日本の自然主義文学の代表的な作家の一人。『不如帰』など。
- 田山花袋(日): 『蒲団』は、日本の自然主義文学の代表作とされる。
豆知識[編集]
- 自然主義という言葉は、ルネサンス期にレオナルド・ダ・ヴィンチが観察に基づいた絵画を評価する際に用いたのが最初であると言われています。
- 哲学における自然主義は、しばしば還元主義(英: Reductionism)と関連付けられます。還元主義は、より複雑な現象を、より単純な要素や原理に分解して説明しようとする立場です。
- 文学における自然主義は、その徹底した客観性と決定論的描写から、しばしば読者に暗い印象を与えることがあります。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 哲学思想辞典編集委員会編『哲学思想辞典』岩波書店、1998年。
- 鶴見俊輔ほか編『哲学の歴史 別巻 思想史の展開』中央公論新社、2008年。
- 小項目事典編集委員会編『日本文学史』学研、2004年。