箱根八里
「箱根八里」(はこねはちり)は、1901年(明治34年)に発行された「中学唱歌」に初出の唱歌である。鳥居忱の作詞、瀧廉太郎の作曲による。
歌詞[編集]
箱根の山は 天下の険
函谷関も 物ならず
万丈の山 千仞の谷
前に聳え 後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小径は 苔滑か
一夫関に当るや 万夫も開くなし
天下に旅する 剛毅の武士
大刀腰に 足毅がけ
八里の岩ね 踏み鳴らす
斯くこそありしか 往時の武士
箱根の山は 天下の阻
蜀の桟道 数ならず
万丈の山 千仞の谷
前に聳え 後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小径は 苔滑か
一夫関に当るや 万夫も開くなし
山野に狩する 剛毅の壮士
猟銃肩に 草鞋かけ
八里の岩ね 踏み破る
斯くこそありけれ 近時の壮士
スカラーソング[編集]
1.
なんだ神田の神田橋、朝の五時ごろ見渡せば 破れた洋服に弁当箱さげて てくてく歩きの月給とりや九円(食えん) 自動車飛ばせる紳士を眺め ホロリホロリと泣き出す、 神よ仏よよく聞きたまえ 天保時代のもののふ(武士)も 今じゃ哀れなこの姿 内では山ノ神がボタンかがり(麻糸つなぎ)の手内職 十四の娘はタバコの工場(こうば) 臭いはすれどキザミも吸えない いつでもお金は内務省よ、 かくこそあるなれ 生存競争の活舞台(かつぶだい)
2.
金こそ無けれ天下の士 断食するもものならず 一銭ありゃ焼き芋 二銭ありゃあんパン 前歯でかじり後えにさぐる 雲か山か踏み破る おなかは鞭声しくしく 土よりも真っ黒な木綿の破れぎぬ 小倉の白袴は垢でなめらか 一厘に買うや買わずの 薄っぺらなる薩摩下駄 帝都に旅する豪気な書生は 大道は狭しと肩で風切り 下宿屋の四畳半じゃ天下を論ずる かくこそあるなり 二十世紀の芋書生