神通 (軽巡洋艦)
神通(じんつう)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。神通川にちなんで命名された神通型(川内型)の2番艦である。艦隊旗艦としての運用を想定された高速・重武装の巡洋艦であり、太平洋戦争において数々の激戦に参加した。
概要[編集]
神通は八八艦隊計画に基づいて建造された5,500トン型軽巡洋艦の最終グループである神通型軽巡洋艦(川内型軽巡洋艦)の一艦として、神戸川崎造船所で建造された。同型艦には川内、那珂がある。
設計は長良型軽巡洋艦をベースに改良が加えられ、特に魚雷兵装が強化された。これは、ワシントン海軍軍縮条約締結後の仮想敵国に対する優位を保つため、雷撃戦を重視した日本海軍の戦略思想を反映している。神通は竣工後、主に第二艦隊の旗艦を務め、その高い速力と魚雷攻撃力で、日本海軍の主力艦隊を支える存在となった。
艦歴[編集]
太平洋戦争以前[編集]
神通は1923年12月8日に進水し、1925年7月21日に竣工した。竣工後、神通は第一水雷戦隊や第二水雷戦隊の旗艦を歴任し、主に演習や訓練に従事した。
1935年に発生した第四艦隊事件では、荒天により艦橋構造物が損傷する被害を受けた。この事件は、日本海軍艦艇の構造上の脆弱性を露呈させ、その後の艦艇設計に大きな影響を与えた。神通もこの教訓に基づき、艦体の強化工事や装備の改修が複数回実施された。
太平洋戦争[編集]
開戦からミッドウェー海戦まで[編集]
太平洋戦争開戦時、神通は第二艦隊の第二水雷戦隊旗艦として、フィリピン攻略作戦、蘭印作戦に参加した。1942年6月のミッドウェー海戦では、主力部隊の一員として参加したが、直接的な戦闘には加わらなかった。
ガダルカナル島の戦い[編集]
ガダルカナル島の戦いにおいては、神通は日本海軍のソロモン諸島方面における重要な支援艦として、数多くの任務に従事した。1942年10月には、サボ島沖海戦に参加し、アメリカ海軍艦艇との夜戦を経験した。この海戦では、神通は主砲と魚雷で応戦したが、自身も損傷を負った。
その後も、ガダルカナル島への輸送作戦「東京急行」の護衛や、ルンガ沖夜戦、第三次ソロモン海戦など、激しい戦闘が続く中で、神通はその役割を果たし続けた。特に第三次ソロモン海戦では、比叡の救援に向かうなど、重要な局面で活躍した。
コロンバンガラ島沖海戦と最期[編集]
1943年7月12日、神通はコロンバンガラ島への輸送作戦に従事する駆逐艦部隊の旗艦として出撃した。翌7月13日未明、神通率いる日本海軍部隊は、ニュージョージア諸島のコロンバンガラ島沖でアメリカ海軍とニュージーランド海軍の巡洋艦および駆逐艦からなる連合軍艦隊と交戦した(コロンバンガラ島沖海戦)。
この海戦において、神通は強力なレーダー射撃を行う連合軍艦隊に対して、探照灯を照射して反撃を試みた。しかし、神通の探照灯は逆に敵艦隊の格好の目標となり、集中砲火を浴びた。数発の直撃弾を受けた神通は、艦橋に火災が発生し、通信能力を喪失した。さらに、魚雷発射管への直撃弾により、魚雷が誘爆。神通は艦体を分断され、1943年7月13日の午前0時すぎに沈没した。艦長の佐藤寅治郎大佐以下、乗員多数が戦死した。
神通の沈没は、日本海軍がレーダー技術において連合軍に大きく立ち遅れていることを改めて浮き彫りにする出来事となった。また、夜戦における探照灯使用の危険性も認識されることとなった。
豆知識[編集]
- 神通の艦名は、岐阜県と富山県を流れる神通川に由来する。
- 第二次世界大戦中に沈没した日本海軍の軽巡洋艦の中では、比較的早い段階で沈没した艦の一隻である。
- 神通の最期は、日本海軍の夜戦における戦術の限界と、連合軍のレーダー技術の優位を示す象徴的な事例として語られることが多い。