盗伊戦争

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盗伊戦争とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線内において2021年におこった最近の戦争である。この戦争は盗ゲ冷戦代理戦争でもある。


盗伊戦争
戦争: 盗伊戦争
年月日: EBB歴2021年7月15日
場所: 史実ミャンマー地域
結果: キッド社会主義共和王国連邦が戦勝。ミャンマーを併合するに至った。
交戦勢力
キッド社会主義共和王国連邦 イースアルディア社会主義共和国連邦ゲルマニア第5帝国
指揮官
【国家指導者】ルヴェーフ・R・kid国王

kid元帥

センペルト・マヴドロフ元帥

今川慶徳元帥

【国家指導者】ログメニー・チャンラグ書記長

グライン・フォート元帥

【国家指導者】アドルフ・タヴォラー総統

ラインハルト・ヒムリドラ親衛隊国家長官

ハインリヒ・オルデンシュトルフ親衛隊上級大将

フリードリヒ・ディーシュタイン陸軍元帥

カルデー・ミリチョク海軍元帥

戦力
王国連邦王立革命赤軍

第1総軍・第8総軍・第9総軍

5250万名

イースアルディア連邦赤軍

150万5000名

ゲルマニア国防軍

第1~10イースアルディア派遣師団

15万人

ゲルマニア親衛隊

第1~5イースアルディア派遣SS師団

10万人

損害


経緯[編集]

インド洋に面する領土の獲得のためにキッド社会主義共和王国連邦イースアルディア社会主義共和国連邦に宣戦布告したことで始まった。この戦争はのちに盗伊戦争と呼ばれるようになった。そしてキッド社会主義共和王国連邦の国力を見せつけるかのような圧倒的な戦争であったのも事実である。

盗伊戦争[編集]

キッド社会主義共和王国連邦は激化する盗ゲ冷戦の最中でインド洋へ出ることのできる領土を欲していた。そこでイースアルディア社会主義共和国連邦に対して宣戦布告しミャンマー割譲を要求した。これをイースアルディア社会主義共和国連邦は拒否して徹底抗戦を表明。ここにゲルマニア第5帝国が介入してきて盗ゲ冷戦最初の代理戦争となった。

ミャンマー電撃戦[編集]

キッド社会主義共和王国連邦王国連邦王立革命赤軍の王立赤星主力機甲師団を巧みに操りミャンマーに対して電撃戦をしかけた。モンスーン作戦と呼ばれた本作戦は、ネピドーの陥落を目指した大規模攻勢戦略であった。この電撃的侵攻はミャンマー守備隊を壊滅させる勢いであったがここにゲルマニア第5帝国の機甲師団が到着すると戦力が拮抗し、当初、ネピドーの陥落を戦略目標としていた王国連邦王立革命赤軍は、直前のシッタン川にて攻勢停滞を余儀なくされた。

シッタンラインの戦い[編集]

盗伊戦争において最も規模が大きいのがこのシッタンラインの戦いだ。シッタン川を隔てて行われたこの戦闘は大規模な戦闘となりミサイル攻撃や航空戦、戦車戦といった大戦闘となる。王国連邦王立革命赤軍はここに最エリートともいわれる師団を投入し電撃戦により殲滅しようとする。[[ゲルマニア国防軍はこれを抑えようと物量で押し込みに来ていた。結果的にはキッド社会主義共和王国連邦の勝利で終わった。

ゲルマニア反攻作戦[編集]

ゲルマニア第5帝国の機甲師団と連携をとったイースアルディア赤軍との反攻作戦だ。この反攻作戦は大規模な戦車戦をひき越し死者550名をだす大戦車戦となったしかしながら、ここでキッド社会主義共和王国連邦は戦略爆撃機を投入し徹底的な爆撃を行いイーゲ連合軍を壊滅させた。

ゲルマニア第5帝国全面撤退[編集]

これ以上の介入は自国の損害を増やすだけだと考えたゲルマニア第5帝国は全面撤退を決意。王国連邦の機甲師団に対処する有効な方法を失ったイースアルディア社会主義共和国連邦はみるみる敗走。そしてミャンマーが全土キッド社会主義共和王国連邦に掌握されたところで講和を申し出た。

戦後処理[編集]

戦後処理としてキッド社会主義共和王国連邦イースアルディア社会主義共和国連邦からミャンマーを割譲し、135億円の高額な戦争賠償金、そして軍隊3割を接収した。ゲルマニア第5帝国は講和前に撤退したこともありお咎めなしとなった。この講和会議はミャンマーの都市であるマイローフラーセにおいて行われ、マイローフラーセ講和条約と名付けられた。

第3次世界大戦[編集]

こうして第3次世界大戦開戦の1年前に戦争を行っていた2国(3国)であったが第3次世界大戦において1年ぶりに全面戦争をすることとなった。