生駒トンネル

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近鉄けいはんな線 > 生駒トンネル

生駒トンネル(いこまトンネル)とは、大阪府東大阪市奈良県生駒市の間にそびえる生駒山を貫く近鉄けいはんな線が通る鉄道トンネルである。この記事では並行する近鉄奈良線の通る新生駒トンネル(しんいこまトンネル)と新生駒トンネル開通まで通っていた旧・生駒トンネルについても記述する。

奈良線 旧・生駒トンネル[編集]

近畿日本鉄道の前身の大阪電気軌道(大軌)が1914年(大正3年)に開通させた。開通当時は日本初の標準軌複線トンネルであり、中央本線の笹子トンネルに次ぐ日本で2番目の長さを誇った。工事費の支払や開通した路線の利用不振などが重なって大軌は社員の給与支払いや切符の印刷代にも事欠いた。更に建設を担当した大林組も大軌からの工費の支払が遅れて経営危機に陥った。

1946年(昭和21年)と翌年にトンネル内で車両火災が発生。2件の火災で合わせて53人が死亡した。更に1948年(昭和23年)3月31日にはトンネル内を走行中の急行列車のブレーキが破損。下り勾配を暴走して河内花園駅で先行の普通列車に追突して49名が死亡、282名が負傷する近鉄奈良線列車暴走追突事故が発生した。

断面が狭小で大型車が通過できない本トンネルは輸送力増強の支障となったため、新トンネルを建設して放棄された。放棄された旧トンネルは引き続き残され、東大阪線建設に際して一部が再利用された。

奈良線 新生駒トンネル[編集]

奈良線旧・生駒トンネルは断面が狭小で大型車が通過できず、輸送力増強に支障をきたす状態となっていた。そこで改良案として、

  • 在来トンネルを夜間の運休中に拡幅する。
  • 在来トンネルを単線化し、新たに単線トンネルを掘削する。

以上2つの案が出された。しかし前者は列車運行に対する危険性や工期の長期化、大阪坑口付近の急曲線の改良ができない点などから実施不可能とされ、後者は在来トンネルの単線化には約15cmの盤下げ工事が必要なこと、建設費が複線新トンネルに比べて割高、こちらも大阪坑口付近の急曲線の改良ができないなどのデメリットがあり、複線新トンネルの建設が決定した。

複線新トンネルはいくつかのルート案が出され、最終的に石切駅から孔舎衛坂駅南側を通り、近畿日本生駒駅大阪方で既存ルートに接続する案が採用された。この新トンネル完成に伴うルート変更により孔舎衛坂駅は廃駅となった。

東大阪線→けいはんな線生駒トンネル[編集]

けいはんな線の生駒トンネルは当初、奈良線の旧・生駒トンネルを再利用する案が当初検討されていた。しかし破砕帯に並行するため、旧トンネルの北側およそ50mに新トンネルを掘削し、東側で旧生駒トンネルへ接続する形態とした。再利用されたのはおよそ400mほどである。

なおトンネルの非常口は旧生駒トンネルの大阪方坑口に繋がっている。けいはんな線のトンネルは奈良線と2回交差している。