玉南電気鉄道
玉南電気鉄道(ぎょくなんでんきてつどう)は、かって府中と東八王子間を営業していた鉄道会社である。正式名は「玉南鉄道株式会社」である。
概要[編集]
沿線住民に大戦直後の資金余力を安全な鉄道へ投資すること、京王電気軌道は日露戦争後の不況の影響により資金調達が困難であり、財政難となっていたため、単独で八王子まで延伸することはできなかった。それでも東京府に対し、府中駅 - 東八王子間の工事施行認可申請延長申請を出したが、資金不足があるとして工事免許は取り消しされた[1]。
京王電気鉄道は府中から八王子までは地方鉄道法に基づく新しい玉南電気鉄道を設立することとし、地元資金の活用と政府補助金の獲得を目的とした。1922年7月、玉南電気鉄道が設立された。玉南電気鉄道を設立した時の役員は、取締役社長・井上篤太郎(京王電鉄社長)、取締役として島田竹三郎、渋谷定七、渡辺孝、青木重匡、監査役として小川平吉(多摩村)、井上平左衛門が加わった[2]。
1925年3月24日、玉南鉄道は開業し、翌日の1925年3月25日、高幡駅(現高幡不動駅)構内で開通式が行われた。総工費は実に230万5000円であり、当初の予算200万円を大きく上回った。社長の井上篤太郎は、鉄道大臣に「地方鉄道補助申請書」を提出したが、鉄道大臣は地方鉄道補助の件は「聴届ケ難シ」として却下した。政府補助金が得られないため、会社存続の意味が無くなったため、1926年10月、臨時株主総会が開かれ、玉南電鉄は京王電気軌道(現京王電鉄)に吸収合併された。1926年12月、解散手続は完了した。玉南電鉄の解散にともない府中駅・東八王子駅(現京王八王子駅)間の改軌工事が行われた[3]。しかし鉄道車輌とホームは京王電気軌道を玉南電鉄にあわせることとして京王電気軌道のホームを高くした。1928年5月22日、新宿・東八王子間の直通運転が開始された。
- 創立委員
1920年の多摩村の創立委員は小川平吉(府会議員)、新田信蔵(元村会議員)、杉田林之助(村会議員)、佐伯太兵衛(南多摩郡会議員)、相沢兵蔵(元村会議員)、富沢政賢(前村長)の有力者6人であった[2]。
歴史[編集]
- 1920年11月10日、八王子の桑都公会堂で玉南鉄道発起人総会が開催された。
- 1922年7月に資本金を150万円と定め役員を選定して会社を設立した。会社の正式名称は定款によれば「玉南鉄道株式会社」である。
- 1924年5月25日に関戸駅・東八王子駅間の工事に着手する。
- 1925年3月24日、玉南鉄道は開業した。客車はボギー式86人乗5輛、72人乗小貨物1屯積合造車5輛、10屯積貨車1輛であった。
- 1926年10月、玉南鉄道は京王電気軌道に吸収合併して、玉南鉄道は消滅した。
参考文献[編集]
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