特二式内火艇 カミ車

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特二式内火艇 カミ車(とくにしきないかてい カミしゃ)は、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が開発・実用化した水陸両用戦車である。「カミ車」の名称は、陸軍の開発名称である「特二式内火艇」の「特」と「二」を組み合わせた読み方であると言われているが、諸説ある。

本車は、太平洋戦争における島嶼防衛の必要性から、特に水上機動能力を重視して開発された。上陸作戦後の陸上戦闘も考慮されており、水上航行用のフロートを装備した特異な外観を持つ。

開発経緯[編集]

第二次世界大戦が勃まると、日本軍南進論に基づき東南アジア各地へ進出を開始した。この地域の作戦において、島嶼間の移動や、海岸からの上陸作戦において、戦車が水上を航行できる能力が求められるようになった。従来の内火艇は陸上での戦闘能力が低く、上陸後の活動に制約があったため、より強力な戦闘能力を持つ水陸両用車両の開発が急務とされた。

1940年(昭和15年)、陸軍技術本部は水陸両用戦車の開発を指示した。これに対し、三菱重工業が中心となって開発が進められた。初期の試作車両では水上航行時の安定性や陸上での機動性に課題が見られたが、度重なる試験と改良により、1942年(昭和17年)に「特二式内火艇」として制式採用された。

設計[編集]

特二式内火艇は、陸上走行用の車体と、水上航行用の大型フロートから構成される。

車体[編集]

車体は九七式中戦車 チハをベースとして開発されており、溶接構造の装甲を有している。防水性を高めるため、各部の接合部にはゴムパッキンが使用され、ハッチ類も水密構造となっている。乗員は5名(車長、操縦手、機関銃手2名、砲手)。

主砲は当初、九七式五糎七戦車砲が搭載されたが、後に一式三七粍戦車砲に換装された車両も存在した。副武装として、車体前部と砲塔後部に各1挺の九七式車載重機関銃を装備している。

機関は三菱液冷式ディーゼル機関を搭載し、陸上での最高速度は37km/h、航続距離は170kmであった。サスペンションはシーソー式サスペンションを採用している。

フロート[編集]

本車の最大の特徴は、水上航行時に装着される着脱式の大型フロートである。車体前部にV字型の前部フロート、車体後部に箱型の後部フロートを装着する。これらのフロートはそれぞれ独立した浮力を持ち、水上での安定性を確保する。水上航行時には、車体後部の2基のプロペラを動力として推進する。水上での最高速度は10km/h、航続距離は370kmであった。

上陸後は、これらのフロートは投棄されることが想定されていたが、実際には戦況や作戦内容に応じて、フロートを装着したまま運用されることもあった。フロートを取り外すことで、陸上での機動性が向上し、通常の戦車に近い運用が可能となる。

生産と配備[編集]

特二式内火艇は、1942年(昭和17年)から終戦までの間に、約182両が生産されたとされている。主に海軍陸戦隊や陸軍の独立混成旅団戦車連隊などに配備された。

実戦での運用[編集]

特二式内火艇は、ガダルカナル島の戦いサイパンの戦いペリリューの戦い硫黄島の戦いなどの太平洋戦線の激戦地で実戦投入された。

しかし、その運用は困難を極めた。水陸両用戦車としての設計思想は優れていたものの、実際の戦場では、アメリカ軍の圧倒的な制空権制海権下において、水上からの上陸作戦自体が困難な状況が多く、また、陸上での戦闘においても、当時の日本戦車全般に共通する装甲の薄さや火力の不足が問題となった。

特に、アメリカ海兵隊が運用したLVT(Landing Vehicle Tracked)のような専用の水陸両用車と比較して、特二式内火艇は水上航行速度が遅く、波の荒い海域では安定性に欠けるという問題も露呈した。フロートの着脱に時間を要することも、上陸作戦時の迅速な展開を妨げた要因となった。

現存車両[編集]

現在、特二式内火艇の現存車両は数少ない。日本では靖国神社遊就館に1両が展示されている。これはサイパンの戦いで鹵獲された車両である。また、アメリカ合衆国バージニア州にあるアメリカ海兵隊国立博物館にも1両が展示されている。

評価[編集]

特二式内火艇は、第二次世界大戦において世界に先駆けて開発・実用化された本格的な水陸両用戦車であり、その先進性は高く評価される。特に、着脱式のフロートによる水陸両用能力の実現は、当時の技術水準を考えると画期的であった。

しかし、日本軍が想定したような上陸作戦の機会が限られたこと、そして連合国軍との技術格差や物量差によって、その真価を十分に発揮する機会は少なかった。陸上戦闘においては、一般的な中戦車に劣る性能であったため、戦車としての活躍は限定的であった。

本車は、太平洋戦争における日本の軍事技術の一端を示す、貴重な遺産であると言える。

豆知識[編集]

  • 特二式内火艇のフロートは、水密性の確保のために内部にゴム製の浮力体が充填されていたという説がある。
  • 当初の開発コード名は「」であり、その後「カミ」となったのは「特一式内火艇」との区別のための「ミ」(「二」を音読みした「に」から派生した言葉遊び)から来ているという説も存在する。
  • 本車の開発には、海軍も共同で関与していたとされ、陸海軍共同開発の珍しい事例である。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 斎藤浩著 『帝国陸海軍 戦車の系譜』 光人社NF文庫、2009年。ISBN 978-4-7698-2621-1
  • 土門周平著 『陸軍機甲部隊の戦史 日本戦車を救った男たち』 光人社NF文庫、2019年。ISBN 978-4-7698-3129-1
  • 大塚好古著 『日本戦車発達史』 ガリレオ出版、2004年。ISBN 978-4-7698-2621-1