橋本寛敏

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

橋本寛敏(はしもと ひろとし、1890年8月19日ー1974年1月13日)は、医師、医学者。

人物[編集]

宮城県仙台市出身。1914年東京帝国大学医学部卒。1925年聖路加国際病院勤務、41年から院長。60年藍綬褒章、66年勲二等旭日重光章受勲。57年、脳出血で倒れた石橋湛山首相に退陣を進言した。

著書[編集]

  • 『不整脈』金原商店、1937
  • 『健康生活の科学 伝染病篇』明治図書出版部、1946
  • 『健康生活の科学』婦人之友社、1947
  • 『心臓病診療の常識』杏林社、1947
  • 『衛生学』看護学講座、学術書院、1949
  • 『内科学』看護学講座、学術書院、1949
  • 『医者の眼でアメリカを覗く』メヂカルフレンド社、1950
  • 『近代病院の設備と機能 少くともこれだけは必要でないか 写真による解説』(病院全書)医学書院、1955
  • 『病院管理 写真解説』医学書院、1963

共編著・監修[編集]

  • 『各科救急処置の指針』編、南山堂書店、1949
  • 『健康生活の指導と科学』荷見秋次郎共著、第一出版、1951
  • 『高等看護学講座』全30巻、監修、医学書院、1952-66
  • 『基本看護学講座』平野みどり共監修、医学書院、1953
  • 『病院と院長』(病院全書) 守屋博共著、医学書院、1955
  • 『慢性疾患の家庭看護指導』編、メヂカルフレンド社、1956
  • 『臨床検査技術講座』全7輯、緒方富雄共監修、金原出版、1957
  • 『医学技術講本』緒方富雄共監修、金原出版、1961