楯の会

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楯の会(楯の會、たてのかい)は、作家の三島由紀夫が民間防衛組織として結成した団体。1968年10月5日に虎ノ門教育会館で40数人の会員を集めて結成式を行った[1]。隊長は三島由紀夫、初代学生長は持丸博。会員は自衛隊の体験入隊と面接からなる入隊試験の合格者で、日本学生同盟(日学同)、生長の家学生会全国総連合(生学連)、全国学生自治体連絡協議会(全国学協)などの民族派学生を中心にしていた。日学同は楯の会入会者を除名処分にした。軍服を真似た制服をつくり、たびたび『平凡パンチ』のグラビアに掲載された。4期、5期には『平凡パンチ』を見て制服に憧れて入会する者も多かった。

1969年2月に森田必勝が日学同の脱退組(日学同傘下組織の全日本学生国防会議の中心メンバー)を結集して祖国防衛隊を結成、のちに「十二社グループ」と呼ばれ、楯の会の中核部隊となった[2]。1969年8月に『論争ジャーナル』グループの10名余りの会員が「本会の品位を著しく傷つける言動があった」として除名され、同年9月に学生長の持丸が楯の会を退会、『論争ジャーナル』副編集長を辞任した[3]。三島は森田を第二代学生長に指名し、同時に事務所を銀座の『論争ジャーナル』事務所から新宿十二社の森田の事務所に移転した[3]

1970年11月25日に隊長の三島、学生長・第1班班長の森田、第5班班長の小賀正義(2期生)、第7班班長の小川正洋(3期生。祖国防衛隊第二代隊長)、第5班副班長の古賀浩靖(2期生)の5名が楯の会事件を起こし、三島と森田は自刃した。事件まで「小説家の遊び」「おもちゃの兵隊」と軽視されていた楯の会による命を犠牲とした行動は右翼・民族派に衝撃を与え、新右翼が生まれる契機となった[4]。1971年初頭に祖国防衛隊は警視庁に解散届を提出した。1971年2月28日に楯の会は三島の遺志に従って解散した。日暮里神道禊大教会で倉持清(のち本多清。1期生。第二班班長)が解散宣言を読み上げた[5]

1972年5月に元会員の阿部勉(1期生。第5班班長、のち第10班「憲法改正草案研究会」班長)、伊藤邦典(1期生)、田村司(4期生)が鈴木邦男らとともに一水会を結成した。1977年3月3日に元会員の伊藤好雄(1期生。第6班班長、のち第3班班長)と西尾俊一(4期生)が元大東塾塾生の森田忠明大悲会会長の野村秋介とともに経団連事件を起こした。1980年1月に本多清ら元会員の一部が蚊龍会を結成した。

備考[編集]

  • 農本主義者・橘孝三郎は自身の孫を含む門下生5名を楯の会に参加させ、1期生20名のうちの4名を占めた。1973年8月に橘の思想を研究するために創刊された雑誌『土とま心』は第2巻以降を楯の会1期生の阿部勉が編集した。最終号の第7巻は「楯の会事件10周年記念号」と題し、楯の会1期生の倉持清に対する三島の遺書を掲載した[6]。三島が楯の会をつくる動機となったのは二・二六事件だと言われているが、保阪正康は橘が農民決死隊を率いて参加した五・一五事件との類似を指摘している[7]
  • 牛嶋徳太朗は「私にとっての「楯の会」」は「一期生から五期生までの八十八名の中から「選ばれし者」としての四名」と伊藤好雄、阿部勉であり、「以上の六名こそが「楯の会」の名にふさわしい」と述べている[8]
  • 千坂恭二は「三島由紀夫の楯の会の構成員といっても、まともなのは一期生など初期くらいであり、後期生になると、かなり質が落ち、実際にも何人か知っているが、どうしょうもない人間が少なくない。だから、元楯の会員などという活動履歴は、本人は看板にしているのだろうが、何の目安にもならない。」[9]、「阿部勉とは親交があったから言うわけではないけれども、楯の会なんて、大体、阿部勉や伊藤好夫等の一期生以外は、ろくでもない者ばかりで、五期生の村田春樹などは論外でしょう。」[10]と述べている。

出典[編集]

  1. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、121頁
  2. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、126-127頁
  3. a b 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、130-132頁
  4. 鈴木邦男『新右翼〔最終章〕――民族派の歴史と現在』彩流社、2023年、36-39頁
  5. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、189頁
  6. 塙眞・篠原裕・金子弘道「農本主義者・橘孝三郎の『土とま心』に学べ」(『維新と興亜』第16号、令和5年1月)
  7. 鈴木邦男「保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』解説」筑摩書房
  8. 牛嶋徳太朗「〈楯の会〉界隈ー「五十五年前」のオフショット…上」『レコンキスタ』令和6年9月1日号
  9. https://x.com/chisaka_kyoji/status/586001413689315328
  10. https://x.com/chisaka_kyoji/status/688159772151955456

関連文献[編集]

  • 鈴木亜繪美著、田村司監修『火群のゆくへ――元楯の会会員たちの心の軌跡』(柏艪舎、2005年)