梁取和希

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梁取 和希(やなとり かずき、2003年平成15年〉2月6日 - )は、日本の社会人野球選手[1]学生起業家福島県会津若松市出身。実業団野球やオーストラリア独立リーグでのプレー経験を持ち、現在は法人向けの経営コンサル、若者向けの留学サポートやキャリア支援を中心とした幅広い事業を手がけている。

経歴[編集]

幼少期・学生時代[編集]

福島県会津若松市で生まれ育つ。小学校中学年より本格的に野球を始め、中学時代には当時まだ主流ではなかったシニアリーグに所属。幼い頃からの夢はプロ野球選手であり、野球に打ち込む日々を送った。

高校はスポーツ推薦で進学し、1年生の夏から遊撃手としてレギュラーに定着。地元では有名選手として知られていた。勉学や遊びを一切捨て、学校行事すら練習を優先するほど、野球一色の生活を送る。しかし、2020年、高校3年時に新型コロナウイルス感染症の影響で甲子園大会が中止。全てを野球に捧げてきた彼にとって、大きな喪失体験となった。

その後、早稲田大学法政大学専修大学駒澤大学などから野球推薦の打診があったものの、再び野球が奪われる可能性への不安から熱意を失う。進路に迷う中、「このままではいけない」と奮起し、半年間の独学で大学に進学。大学名は非公表だが、理数系を中心に学びつつ、教育課程を履修し、教育心理学キャリア教育に関心を持つようになる。

大学在学中には、パナソニックグループ横浜社の実業団チームに所属し、以下の実績を残す。

  • MVP 2回
  • ゴールデングラブ賞 4回
  • ベストナイン 3回連続受賞

その活躍から、独立リーグやパナソニック本社からも注目を集める存在となった。

海外挑戦[編集]

実業団での活躍を経て、オーストラリアのSTATEリーグからのスカウトを受け、約1年半にわたり現地でプレー[2]。プロ入りの可能性もあったが、「野球だけではなく、人生を多角的に見たい」との想いから、現地の金融機関でも勤務[3]。語学やビジネスを実地で学びながら、スポーツと社会の両立を体現した。

オーストラリア行きの背景には、「白紙のキャンバスをもう一度描き直したい」という強い想いがあり、異文化の中で自己再構築を図った。


起業家としての活動[編集]

帰国後は、大学在学中に起業。自身の経験を活かし、「夢を失った若者が、再び自分の道を描ける社会を作りたい」との信念のもと、学生起業家団体「Next Dream」を立ち上げ、代表を務めている。

同団体では、以下の2軸を中心に活動を展開している。

  • 法人向けコンサルティング事業
  • 留学エージェント事業

自身の喪失体験や海外経験を活かし、若者のキャリア形成に寄与する活動を精力的に行っている。


人物[編集]

  • 趣味は異文化交流と教育心理学の研究。
  • 若者のキャリアにおける「内発的動機付け」の重要性を説いており、講演やイベントでもその視点を語る機会が多い。

関連項目[編集]

脚註[編集]

外部リンク[編集]