東郷亜季
東郷亜季(とうごう あき)は、日本のロリータモデル、ポルノ女優。伝説のオカマと呼ばれる東郷健(Wikipedia)の娘である。後に東郷健の従兄弟である藤城清治の養子となり、藤城のマネジメントを行う。
東郷健は男性同性愛のはずだが、なぜ子供(一男二女)がいるのか。実は彼は、社会からの偏見を恐れて「偽りの結婚(本人による)」をしている。いったんは妻子と地元兵庫を捨て東京に出てきた彼であるが、後に長男と長女を引き取り育てる。東郷亜季はおそらく長女であろう[注釈 1]。
経歴[編集]
1961年4月頃、生まれる。
1975年頃、清岡純子にヌードを撮影してもらう。『週刊新潮』昭和50年4月17日号では東郷亜紀となっている。単なる誤植か、このときの芸名なのか不明。記事中にこの春中学校2年生になったという記述がある。これを信じれば可能な誕生日は1961年4月2日から1962年4月1日。1975年5月17日の時点で14歳であると仮定して1961年4月2日から1961年5月17日[2]。
東郷健は
三人いる子供の中でこの子がいちばん私の〝理解者〟でしてね。パパの〝反逆精神〟をひきつぐといってこんなこと考えたようです。(略)いろいろ撮ってもらって一冊の写真集にしてやりたい。少女時代の記念碑にもなりますから......。 — 東郷健、『週刊新潮』昭和50年4月17日号[2]
と述べている。当時日舞を勉強中で、将来的にタレントの野心もあるようだ[2]。最終的に「一冊の写真集」になったのかは不明[3]。撮影場所について中曽根康弘の別荘であるという証言[4]もあるが、なんでそんなことを知っている。当時は第1次ロリコンブームも始まる直前で、ロリータ文化に関してろくに文献もなかったはずだが…。ただし、初版立項者の記憶に従えば1986年の参議院選挙の政見放送で「娘は14歳のとき中曽根康弘の部屋でヌードを撮ってもらった」という趣旨の発言をしていた。撮影場所についてはほぼ確かだとしてよいのではなかろうか。
1977年4月(推定)、高等学校入学。東京都立戸山高等学校であるとする説もある(真偽不明)。父親のことに話題が及ぶのを極端にいやがっていた[5]。
フィルモグラフィ[編集]
- 桃子夫人の冒険 (1979年、にっかつ) - 東郷亜希 名義[6]
出版[編集]
- 東郷アキ 『今日にサヨナラ…』 第五出版、1981年4月。NDL:82009201。NCID:BD14760631。 - 自伝
人物・エピソード[編集]
- 中学生くらいのとき、制服姿で選挙カーの上に上がり「皆さん、うちのお父ちゃんはオカマです!でも一生懸命に生きています!だからお父ちゃんに投票してください!」と演説した[7]。
- NHKの『若い広場』の司会者にレイプされて、後に東郷健の政見放送でその事実が公にされたという証言がある[8]。この証言を残した匿名のネットユーザーは、実際の政見放送を見ており、その記憶に基づいてこう発言したと思われる。実際、政見放送を書き起こしたものが現存するが、それに近いことを言っている。ただし『若い広場』と明言はしていない。
未成年の私の娘が、NHK教育テレビ番組の司会者に誘惑され、娘は「処女やった」と言いふらされたのです。(略)相手は建前は結婚ホヤホヤの紳士であり、本音は処女キラーとして二重を装っているのです。 — 東郷健、1980年 第12回参議院議員通常選挙政見放送[9]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ ryokusai 2012, >>54.
- ↑ a b c 週刊新潮 1975.
- ↑ 「あの東郷健の14歳愛娘の記念ヌード 少女写真家の清岡純子女史が撮っていた」、『アリスクラブ5月号増刊 アリス探偵団』第5巻第5号、白夜書房、1994年5月15日、2026年5月1日確認。
- ↑ ryokusai 2012, >>89.
- ↑ ryokusai 2012, >>183.
- ↑ “桃子夫人の冒険”. 日活株式会社. 2026年5月1日確認。
- ↑ きっこ (2005年10月1日). “東郷健に1票を!”. きっこのブログ. 2026年5月1日確認。
- ↑ ryokusai 2012, >>135.
- ↑ “東郷健”. 真夏の夜の淫夢Wiki. 2026年5月1日確認。
参考文献[編集]
- 「あの東郷健の娘(14)がなぜかヌードに....」、『週刊新潮』第20巻第15号、新潮社、1975年4月、2026年5月1日確認。 ※昭和50年4月17日号
- Anonymous (2012年4月). “「The Gay」創刊や政見放送でタブーを連発、「伝説のおかま」こと東郷健氏が逝去”. Apple‐Polishing Articles. 2026年5月1日確認。