日本航空ニューデリー墜落事故
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日本航空ニューデリー墜落事故(にほんこうくうニューデリーついらくじこ)とは1972年(昭和47年)6月14日にインド・ニューデリーで発生した航空事故である。事故を起こした便名から日本航空471便墜落事故とも。
概要[編集]
この事故は日本の旅客航空便が日本国外で起こした最初の事故であり、日本航空が自主運行を開始後に初めて起こした旅客死亡事故である。
事故当該便の日本航空471便は羽田空港から香港・バンコク・ニューデリー・テヘラン・カイロ・ローマ・フランクフルトを経由してイギリス・ロンドンへと向かう南回りヨーロッパ線だった。
1972年6月14日、羽田空港を離陸した471便は香港・バンコクを経由し、ニューデリーへと向かった。バンコクでは給油も行っている。ニューデリーではパラム国際空港へ着陸するため、計器着陸装置(ILS)による進入許可を得、距離情報提供装置による23マイルのレポートを行った直後、ヤムナー川の土手に激突するように墜落した。この事故で乗客乗員89名中86名と地上で護岸工事に従事していた作業員4名の合わせて90名が死亡した。
事故後に回収されたフライトレコーダーとコックピットボイスレコーダーの解析により、事故機はまるで墜落地点が空港であるかのような飛行経路で墜落していたことが判明している。
事故機には落語家五代目三遊亭圓楽の実妹である吉河信子氏が客室乗務員として搭乗しており、事故の犠牲となった[1]。圓楽は事故当日、実家の寺である易行院の本堂で就寝中だったが、他に誰もいないはずの本堂で木魚の音が一つ鳴り響き、それに驚いて起きた直後に妹の訃報が届いたという。
注[編集]
- ↑ 円楽さん不慮の死をとげた妹と易行院に - 芸能ニュース : nikkansports.com